各地の神社名鑑や郷土誌、江戸期の地誌、今井野菊氏による踏査集成などに基づく、現存または具体的な伝承が残る静岡のシャグジ一覧です。
現在は静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市分です。
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静岡のシャグジ踏査集成20240908
静岡市葵区
静岡市葵区は、駿府城下、農村部、山間部という多様な生活環境で構成されていた広大な地域である。
この地域のシャグジには伝承らしい伝承がほとんど残っておらず、唯一草鞋(わらじ)を納めるなどの逸話が伝わっていた川合社口神社も現存しない。
祭神については11社中5社が八衢比古命・八衢比賣命(及び久那斗神)であり、他地域より多い比率である。
また、保食神などの農耕神を祭神にしているシャグジが見られない。
このため、農耕神としての役割をどの程度持っていたのかが判然としない一方、境界神としての性格がやや強い印象を受ける。
都市部である駿府城下に鎮座するシャグジは横田町西宮神社が唯一と思われるが、このシャグジは北辰妙見と習合した院内(陰陽師)起源のものと考えられ、他の村落ごとのシャグジとは一線を画す。
なお、現在もシャグジを本社としているのは、いずれも安倍川流域の山間部にある左口神社、佐久地神社のみである。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 今井 | 踏査 |
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淡島神社 | 旧地 | 古庄の おしゃもじさん | 神社隣の畑に大正末期まで樹木が1本立って いた。 ここを「おしゃもじさん」と呼んでいた。 (東豊田郷土誌) | ✕ | 古庄 2丁目 1−83 | 社宮司祠 | 左口社 | 社宮司祠 | 左宮司社 さぐつさん | 2022/7/23 | |
横田町西宮神社 | 旧称 | 左口神社 | 猿田彦命 | 昭和三年に左口神社から西宮神社に改称 院内(陰陽師)が信仰する北辰妙見と習合し たシャグジと思われる。 | ○ | 横田町 5−24 | 左口司社 | 左口神社 恵比須社 | 左宮司 | 2022/11/10 | |
新伝馬白髭神社 | 合祀 | 左口神社 | 八衢比古命 八衢比賣命 | かつて隣村の松富下組村の貴庵寺境内に鎮座 した左口神社を産土神として信仰。 弘化三年、白髭神、左口神を勧請奉祀して白 髭社と称す。 | ○ | 新伝馬 3丁目 14−3 | 2023/2/4 | ||||
門屋八幡宮 | 境内社 | 左口神社 | 八衢比古命 八衢比賣命 | 八幡宮は門屋村の産土神であり、村内にあっ た小祠が境内に寄せられている。 左口神社もその一つである。 | ○ | 門屋 1093 | 社宮司社 | 社宮司社 | 社宮司社 おさぐつさん | 2023/2/4 | |
郷島浅間神社 | 合祀 | 三五神社 | 八比古命 八衢比賣命 久那斗神 | 神社名鑑では浅間神社の祭神に八衢比古命と 八衢比賣命も挙げられているが、三五神社の 合祀に関する記載はない。 一方、明治三十一年に合祀したという三島神 社は郷島に鎮座した記録がないため、三五神 社の誤記と思われる。 | ○ | 郷島 373 | 左宮司社 | 左口司社 | 左口司社 | 2023/2/4 | |
左口神社・ 白髭神社 | 本社 | 左口神社 | 猿田比古命 誉田別命 | 寛永八年創建。玉川地区では白髭神社が主流 であり、合祀等を含め、当社が唯一の現存す るシャグジのようである。 | ○ | 落合 1404 | 左口司社 | 2021/7/25 | |||
大渡神社・ 佐久地神社 | 本社 | 佐久地神社 | 猿田彦命 | 明治八年、黒俣村上和田にあった佐久地(さ くち)神社を大渡神社に合併(安倍郡清澤村 誌) | ○ | 黒俣 1098−1 | 左宮司 | 左口神社 | 左宮司社 | 2021/9/20 | |
安東熊野神社 境内社 五社神社 | 合祀 | 佐口神社 | 八衢比古命 八衢比賣命 久那斗神 | 五社神社(荒神社、津島神社、塞神社、稲荷 神社、佐口神社) 大正十四年境内社を合併 | ○ | 安東 1丁目6−4 | 左口司 | 左口司社 | 2022/6/28 | ||
北沼上八柱神社 | 合祀後 分祀 | 左口神社 | 八衢比古命 八衢比賣命 久那斗神 | 大正二年八月二十四日同所坂下鎮座無格社左 口神社を合祀 昭和二十二年同左口神社を分祀(現在地不明 ) | ? | 北沼上 915 | 左口司社 | 左口社 | 2022/8/28 | ||
田ケ谷左口神社 | 本社 | 田ケ谷左口神社 | 千代田誌に「シャモジ社」とある。 かつては山上で祀っていたが、社地が崩れ、 現在地に遷したという。 | ○ | 北沼上 字田ケ谷 667 | 2022/8/28 2023/9/17 | |||||
川合社口神社 (お杓子さん) | 旧地 | 川合社口神社 (お杓子さん) | 不詳 | 川合と上土との中間の沿道にあった小祠。 昭和十年頃同地に建設された清水水産罐詰工 場が管理していた(千代田誌)が、現在は痕 跡を見出せない。 | ✕ | 川合2丁目 字社口 | 左宮神社 | 2022/10/8 | |||
瀬名川菅原神社 | 境内社 | 社宮司神社 | 文献資料は江戸期の地誌以外に見当たらない が、境内社として現在も祀られている。 | ○ | 瀬名川2丁目 字小坂給 18−16 | 左宮司社 | 三狐神 | 左宮司社 | 左宮司社 | 2023/7/2 |
静岡市駿河区
静岡市駿河区は、旧静岡市域の東海道本線以南と、安倍川西岸の旧長田村地域で構成される。
シャグジを本社とする神社はなく、伝承もほとんど残っていないため、信仰の内容ははっきりしないが、地域内の各集落に当然に祀られていたようだ。
旧長田村のシャグジは古代の東路(あずまじ)に沿った集落に立地し、祭神もすべて猿田彦命であることから、道の神としての性格がうかがえる。
一方、旧八幡村にあった左口神社の祭神は保食神とされ、さらには「稲荷神社といわれた」とまで伝わっている。
このことから、旧八幡村を含む旧豊田村地域のシャグジは、農耕神としての性格が強かったことがわかる。
なお、旧豊田村には、現在は痕跡がないが、近年まで残っていたと思われる四社のシャグジの記録がある。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 今井 | 踏査 |
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丸子稲荷神社 元宮 | 境内社 | 左口神社 | 猿田彦命 | 丸子稲荷神社は昭和五十三年に本社を当地西側に遷宮 残地神域は稲荷神社元宮として、境内社の左口神社 (猿田彦命)などを奉斎 (瀧本雄士「丸子路の史跡めぐり」) | ○ | 丸子 字泉ヶ谷 | 左口司社 | 社宮司祠 | 2022/9/11 | ||
丸子津島神社 | 境内社 | 左口神社 | 猿田彦命 | 独立社殿に祀られる。 | ○ | 丸子 字戸斗谷 1813 | 左口司社 | 左口社 | 左宮司 | 左口社 | 2022/9/11 |
丸子谷津神社 | 合祀 | 左口神社 | 猿田彦命 | 左口神社 祭神猿田彦命(長田村誌) | ○ | 丸子 字細工所 4790−1 | 左口司社 | 社宮司社 | 左口社 | 2022/9/11 | |
用宗浅間神社 | 境内社 | 左宮司社 | 神社名鑑では左口社とされる。 社名以外の伝承なし | ○ | 用宗城山町 20-5 | 社宮司社 | 社宮司社 | 社宮司社 | 2023/2/11 | ||
鎌田八幡神社 | 合祀 | 左口神社 | 猿田彦命 | 鎌田村字左口、左口神社(祭神猿田彦命)を明治二十 四年十二月八日に合祀(静岡市神社名鑑) | ○ | 鎌田 382 | 社宮司社 | 社宮司 | 社宮司社 | 2022/9/11 | |
栗原社宮司社 | 旧地 | 社宮司社 | 東豊田郷土誌 | ✕ | 栗原 | 左宮司社 | 左口社 | 左宮司社 | 2022/5/5 | ||
中吉田左宮司社 | 旧地 | 中吉田左宮司社 | 「電車線踏切の北側、吉田川東岸の道の傍だったが、 この辺り一昨年の七夕豪雨の出水で変貌し跡方もな い。」(民俗しずおか第15号「左宮祠覚書」昭和51年 12月) | ✕ | 中吉田 字散田口 1194 | 左宮司社 | 左口社 | 左宮司社 | 2023/4/1 | ||
中吉田左宮司社 | 旧地 | 中吉田左宮司社 | 「今日石村金属という工場の敷地になり、整地されて 知るべくもない。」 (民俗しずおか第15号「左宮祠覚書」昭和51年12月) | ✕ | 中吉田 字壱反所 175 | 左宮司社 | 左口社 | 左宮司社 | 2023/4/1 | ||
谷田左宮司社 (しゃもじ社) | 旧地 | 谷田左宮司社 (しゃもじ社) | 「谷田の氏神の西方程ない所に大きなもちの木を中心 に二、三本の木があり、その下に何も刻まれていない 六、七十センチばかり細長い自然石が一個倒れてい る。」(民俗しずおか第15号「左宮祠覚書」昭和51年 12月) とあるが、現存は確認できていない。写真記録あり。 | ✕ | 谷田 字宮の前 124 | 左宮司社 | 2022/7/23 | ||||
宮本神明神社 | 合祀 | 左口神社 | 猿田彦命 | 明治四十年、旧川辺村の左口神社を合祀 | ○ | 宮本町 9−30 | 左口司社 | 社宮司 | 2022/6/30 | ||
静岡八幡神社 | 合祀 | 左口神社 | 保食神 | 明治四十一年、八幡字大屋敷から合祀 稲荷神社といわれた。 | ○ | 八幡山 4 | 左口司社 | 左口社 | 2023/3/11 | ||
高松神社 | 境内社 | 左口神社 | 駿河志料は敷地(高松分郷)に左宮司社ありとする。 駿河國新風土記は「高松敷地宮竹各一所つゝあり」と する。 | ○ | 高松 字神明原 1571 | 左口社 | おさもつさま | 2022/6/19 | |||
少将井神社 | 境内社 | 左口神社 | 猿田彦命 | 明治二十二年に手越字藤ノ木鎮座の左口神社(猿田彦 命)を境内社としたが、後に合祀 左口神社は江戸初期の元和創建と伝わる。 | ○ | 手越 202 | 左口司 | 社宮司社 | 左口司社 | 2022/9/11 |
静岡市清水区
静岡市清水区は、旧清水市、旧由比町、旧蒲原町によって構成される。
郡制においては旧庵原郡の大部分及び旧有度郡の一部に当たる。
この地域のシャグジは三狐神や保食命が祭神であったり、検地にまつわる伝承を持つなど、多くが駿河シャグジらしい農耕神の性格を有する。
一方、庵原郡域では、興津社護神社をはじめ、寺院の守護社、伽藍神だったと思しきシャグジが見られる。
また、小島や伊佐布など、山梨県に近づくにつれ、甲斐国で盛んだった諏訪信仰の影響が見えるシャグジも現れる。
創建時期に関しては、増神明社(佐栗神社)が中世鎌倉期創建とされるほか、三保佐久神社、宮加三神社などの周辺でも鎌倉期の史跡・伝承が多く見られる。
これらの特徴は、この地域では、複数の経路により段階的にシャグジ信仰が広がったことを示唆していると考える。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 今井 | 踏査 |
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入江白髭神社 | 末社 | 左宮司神社 | 猿田彦命 | 院内を起源とするシャグジか。 | ○ | 入江1丁目 13−17 | 2022/10/15 | ||||
長崎新田 佐口神社 | 本社 | 佐口神社 | 保食命 | 明治十四年の駿河村誌には、 「手置帆負命、彦狭知命を合祭」とある。 | ○ | 長崎新田 275 | 左宮司社 | 2020/12/27 2023/1/8 | |||
御穗神社 | 境外 摂社 | 三保佐久神社 | 猿田彦大神 | 享保六年(1721)の 「駿河國三穂社記(別宮摂社考)」に、 「左久神(サグジン)三保村森ノ中ニアリ」とある。 雙栗(サクリ)神社ともされる。 三保村誌(大正二年)には「杓文字神社」として 記載され、検地の際に用いた竿を納めた「竿神社」 の転訛とされる。 | ○ | 三保 字北方 3056 | 左久神社 | 雙栗神社 | 2022/10/22 | ||
馬走神社 | 合祀 | 社子司社 | 不詳 | 明治三十九年、字坂の下にあった社子司社を合祀 (由緒書) | ○ | 馬走 8−12 | 左宮司社 | 左口社 | 左宮司社 | 左宮司社 | 2022/5/5 |
増神明社 | 合祀 | 佐栗神社 | 猿田彦命 | 明治元年に左宮司社から佐栗神社に改称。 大正五年伊勢神明社に合祀 明治十四年の駿河村誌では、保食神を祭るとする。 | ○ | 増 206 | 2023/2/6 | ||||
宮加三神社 | 相殿 | 左宮司神社 | 猿田彦命 | 駿河志料、駿河記の三澤の項に「田の中にあり」とあ る。 駿河國新風土記では「産土八幡大棟梁左宮司三社相殿 の社あり」とされる。 | ○ | 宮加三 字居屋敷 432 | 左宮司社 | 左宮司社 | 左宮司社 | 左宮司社 | 2023/6/10 |
興津社護神社 | 本社 | 社護神社 | 天照大御神 猿田毘古神 | 貞享三年の古図に社護神の記載あり。 昭和八年、社殿焼失して古記録等存せず、 昭和九年社殿を新築するも参道崩れ維持困難なため、 平成二十四年、茨原神社に合祀された。 (茨原神社由緒書) | ? | 興津本町 763 | 2021/10/24 2023/10/7 | ||||
茨原神社 | 合祀 | 社護神社 | 天照大御神 猿田毘古神 | 平成二十四年、山の中腹にあった 旧地(字滝の沢763)から麓に移転。 移転に伴い上記の社護神社を合祀 | ○ | 興津本町 642−7 | 2021/10/24 2023/10/7 | ||||
女体の森 宗像神社 | 境内社 | 猿田彦大神 | 猿田彦大神 | 境内社の猿田彦大神は「東海道分間延絵図」にある 「社古地ノ森」ではなかったか。 | ○ | 興津中町 554 | 2023/10/7 | ||||
尺誥神社 | 石碑 | 尺誥神社 | 尺誥(しゃぐじ)神社。 北田から阿僧の三叉路を白井沢方面に少し行った段丘 地に「オシャモッツアン」と呼ばれる社が祀られてい た。 現在は一面のミカン畑で、その畑の片隅に 「尺詰神社」 と刻まれた一米程の石碑が立っている。 古老の話によると、夜泣きどめの神様とか、 小便の神様とか言って、 お果しには油あげを供えるという。 (ふるさと由比-歴史散歩編-) | △ | 由比北田 字上野 | 左宮司 | 左宮司社 | 尺詰神社 おしゃもったん | 2023/4/22 | ||
龍雲寺 | 境内社 | 社口大明神 | 龍雲寺の裏山中腹に「社口大明神」があったという。 | ○ | 蒲原2丁目 12−10 | 2023/5/4 | |||||
承元寺八幡神社 | 合祀 | 社口社 | 承元寺八幡神社は隣接する神護山承元寺の鎮守社であ る。明治三十九年に社口社を合祀した。 | ○ | 承元寺町 字下山 648 | 2023/5/22 | |||||
小島の おしゃもじさん | 小祠 | 小島の おしゃもじさん | 拝むと子供の夜泣きがおさまるといわれている。 シャグジであることは忘れられてしまったようだ。 | ○ | 小島町 字栗原 南沢入口 | 2022/6/4 | |||||
尾羽の おしゃもじさん | 小祠 | 尾羽の おしゃもじさん | 尾羽の宮平に「おしゃもじさん」という 小高い場所があって、ここを掘り起こすと 「オコリ」をふるうと言い伝えられていた。 今はみかん畑となっている。 (民話・伝説・小字の由来「いほはら」) | ✕ | 尾羽字宮平 | 2023/4/29 | |||||
杉山八柱神社 | 合祀 | 作工司大明神 | 旧庵原郡杉山村にあった氏神八社を合祀した神社であ り、八社のうち「作工司大明神」がシャグジと考えら れる。 | ○ | 杉山 426 | 左口司社 | 左宮司社 | 左宮司社 | 2023/4/29 | ||
伊佐布 伊勢神明社 | 境内社 | 左口神社 | 「左口社は大上より明治八年に遷宮す 大上の最旧家 と称する朝倉角太郎屋敷内に在りしものなり」 (庵原村誌) また、下伊佐布にも山田家が祀る左口社があった。 | ○ | 伊佐布 403 | 左口司社 | 左宮司社 | 左宮司社 | 2021/12/19 | ||
押切八幡神社 | 相殿 | 左口神社 | 八幡神社、白髭神社、左口神社による三社相殿。 江戸時代後期には既に相殿となっており、当時左口神 社は「三狐神」と称した。 三狐神は田の神とされる。読みは「さぐじ」であり、 シャグジの一種でもあるため、その後「左口」の表記 に変更されたものと思われる。 | ○ | 押切 1198 | 三狐神 | 三狐神社 | 三狐神 | 2022/10/15 | ||
蜂ヶ谷八幡宮 | 境内社 | 佐口神社 | 佐口(さくう)神社。合祀の経緯等を示す資料が見当 たらない。 | ○ | 蜂ヶ谷 字八幡山 306 | 2023/9/10 | |||||
下野浅間神社 | 境内社 | 三狐神 | 三狐神は浅間神社境内の別棟に奉斎される十二天尊と 共に祀られる。 当社が鎮座する字前田に接する字三狐神に鎮座してい たシャグジと思われる。 | ○ | 下野町 8-24 | 社宮司社 | 左宮司社 | 左宮司社 | 2023/2/6 |
焼津市
焼津の地域性か、江戸期のシャグジの多くが丁寧に祀り継がれている。
また、高草山麓をはじめ、江戸期の地誌にも記録されていないシャグジがそこかしこにあったようだ。
いくつかのシャグジには、山王信仰、天台宗寺院との関係が垣間見える。
このうち大覚寺の八坂神社は明確に鎌倉期の勧請とされる。
また、八楠加茂神社や焼津神社など、天白信仰との関連も散見される。
旧大井川町のシャグジも、山王信仰や天白信仰との関係性は旧焼津市域のシャグジに通じる。
また、藤守八箇森のオシャモジの森と、シャグジが祀られていた浜当目の「青木の森」の双方に「袖もぎ信仰」が伝わることは興味深い。
全体に、古社に祀られるシャグジが多く見られる傾向があり、
当地におけるシャグジの創祀時期は、確実に中世以前に遡ると考える。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 今井 | 踏査 |
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八楠加茂神社 | 境内社 | 左口神社 | 不詳 | 総国風土記の箭葛(八楠)の項に「柳田神社 大化二年(646年)丙午二月所祭“雙栗神” 也」とあるのが加茂神社といわれ、シャグジ との関係が想起される。 | ○ | 八楠 字押洗 360 | 社宮司 | 2022/12/10 | |||
大覚寺下八坂神社 | 境内社 | 左口神社 | 鎌倉時代の弘安三年(1280年)、八坂神社と 同時に山王神社、八王子神社、左口神社を勧 請(志太地区神社誌)配神 左杓司等(静岡 志太郡西益津村誌) | ○ | 大覚寺1丁目 字楠木9-1 | 2022/12/10 | |||||
焼津北大井神社 | 摂社 | 左口神社 | 猿田彦命 | 通称「おしゃもんさん」。個人宅の敷地内に あった左口神社を明治三十四年に合祀。 | ○ | 駅北2丁目 字六林 5−13 | 左口司社 | 左口社 | 左口祠 | 社口祠 | 2023/8/13 |
焼津神社 | 境内社 | 佐宮子社 | 不詳 | かつては焼津神社の境外末社に位置付けら れ、「天白の森」として、天白社とともに祀 られていたようだ。(焼津町誌) 天白社は現在境内社の一つとなっているた め、佐宮子社もともに祀られていると思われ る。 | △ | 焼津2丁目 字宮之腰 7−2 | 社宮司 | 社宮司 | 社宮司 | 2023/8/25 | |
天皇神社 | 合祀 | 左口松 | 今井野菊氏の踏査記録に「益津郡中村天王山 内西ノ宮口」に所在する「佐宮司社」があ る。 駿河志料にある社宮司社、万延元年の絵図に ある「左口松」のことと思われる。 | △ | 駅北5丁目 1-26 | 社宮司社 | 社宮司社 | 佐宮司社 | 2024/8/25 | ||
小柳津西宮神社 | 境内社 | 左軍神社 | 明和九年の小柳津村明細に「さこし(左口) 社」と記される。 | ○ | 小柳津237 | 2022/8/20 | |||||
五ケ堀之内 三嶋神社 | 合祀 | 左口神社 | 猿田彦命 | 明治三十三年、元の若宮八幡宮の北側にあっ た左口神社を合祀 | ○ | 五ケ堀之内 1001 | 社口司社 | 社宮司 | 左口司社 | 社宮司社 | 2022/10/1 |
三ケ名神明宮 | 合祀 | 左口神社 | 左口神 | 明治三十三年、境内社八王子神社に左口神社 を合祀 | ○ | 三ケ名 字伊勢島 980 | 左口司 | 社宮司 | 左宮司社 | 2022/10/1 | |
石津八幡宮 | 合祀 | 左口神社 | 猿田彦之命 | 明治四十年、石津字西浦にあった左軍神社 (通称オシャモッツァン)を合祀(志太地区 神社誌) 八幡宮の棟札に記された「三五権現」もシャ グジの可能性がある。(小川町誌) | ○ | 石津 字宮ノ西 448 | 2022/10/1 | ||||
小川新町左口神社 | 本社 | 左口神社 | 猿田彦命 | 当地は古くから田地の中に小社を有し、樹木 鬱蒼としていたことから左口森と呼ばれた。 通称オシャモッツァンと呼ばれる。 | ○ | 小川新町 4丁目 字左口森3 | 左口社 | 2022/1/30 | |||
中里若宮八幡宮 | 境内社 | 社護神社 | 社護神 | 境内社の社護神社は大井神社、秋葉神社、白 髭神社と共に長屋式の社殿に寄せられてい る。 | ○ | 中里 字久保 1000 | 2022/12/10 | ||||
那閉神社 | 境内社 | 青木神社 (左口社) | 浜当目にあった「青木の森」に祀られていた 左口大明神の社地に、戦国末期の武田方豪勇 の士、須藤左門を祀る石社が造立された。 現在は青木神社として那閉神社境内に遷座さ れている。(焼津市史 民俗編、ふるさと東 益津誌) | ○ | 浜当目3丁目 字那閉崎 12−13 | 社口社 | 左口社 | 2023/8/13 2023/11/11 | |||
花沢の オシャモッツァン | 本社 | オシャモッツァン | 歯痛や子どもの病気に御利益があると言わ れ、花沢の人々に信仰された。 祠はなく、山肌に自然石が露出している場所 自体を拝む。 | ○ | 吉津 | 2023/8/13 | |||||
石脇浅間神社 | 境内社 | 社宮司 | 農耕神、開拓神として祀られていたと考えら れる。通称おしゃもつあん | ○ | 石脇下 字谷 705 | 左宮司 | 社宮司社 | 左口神社 | 2023/8/25 | ||
方ノ上八王子神社 | 合祀 | 西宮神社 | 事代主神 | 「おしゃもつあんの杜はいつの間にか祭神の 無い西宮明神と呼ばれるようになつた。」 「おしゃもつあんが一石の有資格の神社とな り遂には農作業の場所となり消えて行つてし まつたのです。」 (塩澤藤雄「高草山麓のむかし話」) | ○ | 方ノ上 字彦山 149 | 西宮社 | 西宮 | 西宮社 | 2024/8/10 | |
高草山の一本杉 | 旧地 | おしゃもつあん | かつて「おしゃもつあん」が祀られていたと いい、一本杉は枝を切るだけでも祟りがある と伝わる。 (塩澤藤雄「高草山麓のむかし話」) | △ | 関方 字カナケクボ | 2024/7/15 | |||||
和田神社 | 境内社 | 左口神社 | 猿田彦命 | 明治三十三年、字上新並にあった左口神社を 天白社、水神社、天神社と共に合祀(和田 浦) | ○ | 田尻 字和田1 | 山護神 | 2023/1/15 | |||
栄田神社 | 合祀 | 左口神社 | 猿田彦命 | 明治四十年、北新田字弥平西にあった左口神 社を合祀(和田浦) | ○ | 田尻北1 | 2023/1/15 | ||||
上小杉八幡宮 | 境内社 | 社護神社 | 大名牟遅神 小名毘古那神 | 八幡宮の末社として奉祀(静浜村誌、大井川 町史) | ○ | 上小杉 字本郷 85 | 2023/8/19 | ||||
御社守稲荷 | 本社 | 御社守稲荷 | 倉稲魂命 | 藤守八箇森の一つ、「椀貸の森」に鎮座。オ シャモリサン、オシャモジサン、おしゃもつ 様などと呼ばれ、シャグジ信仰と稲荷信仰が 習合している。(東京女子大学民俗調査団 「藤守の民俗」、大井川町婦人団体連絡会 「ふるさとの年中行事」、「大井川町史」) | ○ | 藤守字柿崎 | 御社守稲荷 | 2022/8/11 2024/4/29 | |||
藤守八箇森 | 旧地 | オシャモジの森 | 白鳩が藤守大井八幡宮の御供に用いた杓子を 啄み、この森に置いたことに由来する。ま た、この森には袖切松という大松があったと いい、明治の初めまで、ここで躓いた者は必 ず袖が切られていたとの伝承があった。 | × | 藤守字松木根 | 2024/4/29 | |||||
吉永八幡宮 | 末社 | 社子神社 | 少彦名命 | 元は字西川原にあり、文政年中に字上島の熊 野神社境内社となった。さらに明治九年、熊 野神社と共に吉永八幡宮境内に遷座した。 (吉永村誌) | ○ | 利右衛門 字大島836 | 2023/8/19 2024/5/19 |
浜松市
この地域には一族単位で祀られているシャグジもあり、調べるほどに次々と掘り起こされる。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 市町村 | 字地番 | 遠淡海 地志 | 今井 | 踏査 |
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伊場賀茂神社 | 合祀 | 斜口神社 | 斜口宮大神 | 明治七年五月十一社を合併(浜松市神社名鑑) 明治初年に、旧伊場町にあった八面荒神・神明・十七 夜・雨宮・水神・斜口・大日・建速・御誓・木船・伊 雑宮などを合祀(浜松の史跡 続編) | ○ | 中区 | 東伊場1丁目17−1 | 斜口神社 (おしゃぐつさま) | 未 | |
笠井町春日神社 | 境内社 | 社宮司神社 | 猿田彦大神 | 本町倭下林ニ鎮座アリシヲ明治七年合併ス (笠井町郷土の俤) | ○ | 東区 | 笠井町1348−1 | 未 | ||
赤宮 (じゃぐう)神社 | 本社 | 赤宮 (じゃぐう)神社 | 猿田彦命 | 貞観年間の創立と伝えられる。 | ○ | 東区 | 上西町883 | 赤宮神社 | 未 | |
積志町神明神社 | 合祀 | 社宮司社 | 猿田彦命 | ○ | 東区 | 積志町1021 | 未 | |||
三社山神社 | 境内社 | 赤宮神 (しゃぐじん)の祠 | 赤宮神 | オシャモッツァマ | ○ | 西区 | 入野町4990−2 | 未 | ||
雄踏町山崎 三島神社 | 境外 末社 | 山宮神社 | 山宮神 | しゃぐうじ、おしゃまつさま、祝神、おしゃぐつさま 近隣に山宮神(しゃぐじ)公園がある。 | ○ | 西区 | 雄踏町山崎3549 | 山宮神 | 未 | |
社護司 (しゃごじ)神社 | 本社 | 社護司 (しゃごじ)神社 | 豊受姫命 佐田彦命 | ○ | 南区 | 老間町112 | 未 | |||
富屋町貴船神社 | 小祠 | お杓子さま | 伏せ貝を吹いたことで斬り殺された山伏を 供養するために建てられた地蔵といわれる。 願をかけると病気が治ると言われ、 治るとお杓子を上げて納めた。 | ○ | 南区 | 富屋町 | 未 | |||
オシミッツァマ | 小祠 | オシミッツァマ | イッケ(同族)の地の神。清水が湧く場所で、 源平いずれかの落人を祀ったとも伝わる。 (引佐町史) | ○ | 北区 | 引佐町別所 | 未 | |||
オシャグッツァマ | 小祠 | オシャグッツァマ | イチモン(同族)の地の神。山裾の檜の下に鎮座 (引佐町史) | ○ | 北区 | 引佐町谷沢 | 未 | |||
細江町三和 八幡神社 | 境内社 | 左口神社 | 市杵嶋姫命 | ○ | 北区 | 細江町三和527 | 社宮神社 左口神社 (おさもつさま) (さぐ神) | 未 | ||
三ヶ日町岡本 御薗神明宮 | 境内社 | 社宮神社 | 猿田彦神 | ○ | 北区 | 三ヶ日町岡本1744 | 社宮司神社 | 未 | ||
都筑神社 | 末社 | 社宮司神社 | 猿田彦神 | 八幡宮外二十一社の末社の一つ | ○ | 北区 | 三ヶ日町都筑1176 | 社宮神社 | 未 | |
須倍神社 | 合祀 | 社宮神社 社宮神社 | 船戸神 麓山祇命 | 外宮に合祀された七十余の村内神社に含まれる。 | ○ | 北区 | 都田町6284 | 未 | ||
社宮 (しゃぐう)神社 | 本社 | 社宮 (しゃぐう)神社 | 岐(ふなど)神 | おしゃぐつ様 悪疫、災禍を防ぎ、子授けの霊験あらたかの御神徳で 崇敬を集めている。 願主は杓子を奉納する慣わしがある。 | ○ | 北区 | 都田町(吉影片瀬) 7029 | 未 | ||
尾野金刀比羅神社 | 境内社 | 尺地宮(寄せ宮) | 猿田毘古大神 | 明治十四年、尾野地内の各所に祀られていた 十二社を集め、寄せ宮としたうちの一社。 正保四年勧請。 古い神札には社具土、社口之宮ともある。 | ○ | 浜北区 | 尾野2617 | 未 | ||
中条須賀神社 | 境内社 | 社宮神社 | 猿田彦命 | 明治七年、村内にあった神明社(中条字水神)・ 社宮神社(字中川原)・山神社(字山神)を 境内社とした。(浜北の社寺を訪ねて) | ○ | 浜北区 | 中条1 | 未 | ||
石神神社 | 本社 | 石神神社 | 石神大神 | 年を追って成長するという富士石(石棒)を祀る。 (遠江風土記伝) 同様の伝承は各地にある。 | ○ | 天竜区 | 石神 | 石神大神 | 未 | |
社隅地 (しゃぐじ)神社 | 本社 | 社隅地 (しゃぐじ)神社 | ○ | 天竜区 | 石神 | 未 | ||||
六所神社 | 境内社 | シャゴッツァマ | 天竜市史に他にも多くのシャグジが挙げられているが、 未特定 | ○ | 天竜区 | 上野226 | 未 | |||
新宮神社 | 合祀 | 社子神 | 猿田彦命 | 「遠淡海地志」では和泉平には 帝釈、社子神、天王、大明神があるとされる。 「静岡県周智郡誌」には 新宮神社に三社が合祀されているとされている。 仏教神である帝釈を除く三社とすれば、 社子神も含まれると考えられる。 | ○ | 天竜区 | 春野町和泉平857 | 社子神 | 社子神 | 未 |
蛭子神明神社 | 境内社 | 社子社 | 猿田彦命 | 熊切村胡桃平神明社境内に猿田彦を祭神とする社子社 あり。(静岡県神社志) 昭和3年、神明神社を蛭子神社に合祀し、社名を蛭子 神明神社と改称 | ○ | 天竜区 | 春野町石打松下222 | 社子神 | 未 | |
杉小國神社 | 合祀 | 社子神社 | 猿田彦命 | 明治五年、字高杉にあった社子神社を合祀 | ○ | 天竜区 | 春野町杉字上ノ山485 | 未 | ||
長蔵寺諏訪神社 | 合祀 | 社子神社 | 猿田彦命 | 明治四十一年五月八日区内の熊野社・天神社・ 社子神社・遠津社・地神社を合祀する。 (静岡県神社庁HP) | ○ | 天竜区 | 春野町長蔵寺225 | 社子神 | 社子神 | 未 |
花島蛭子神社 | 旧地 | おしゃもじ様 | 蛭子神社の近くの川あたりにあった、 今はない榊の木がおしゃもじ様と呼ばれ拝まれていた。 (春野町周辺の民俗) | ✕ | 天竜区 | 春野町花島117-3 | 未 | |||
堀之内熱田神社 | 合祀 | 社護地神社 | 猿田彦命 | 明治七年、字明野にあった社護地神社を合祀 | ○ | 天竜区 | 春野町堀之内216 | 未 |
沼津市
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 今井 | 踏査 |
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秋葉神社 | 旧称 | 秋葉射軍神祠 | 駿河志料にある秋葉射軍神祠に該当すると思われるが詳細不明 | ○ | 大塚341 | 秋葉射軍神祠 | 未 | |||
オシャモッサン | 小祠 | オシャモッサン | 社護神 | 昌源寺の墓地の南側に鎮座。かつては小さな森の中に祀られていた。 | ○ | 原(原西町) | 未 | |||
鷲頭神社 | 合祀 | 左口神 | 左口神 | 左口神は、鷲頭神社が明治七年に鷲頭山頂から現在地に遷座した際、 合祀された村内全神社の中に含まれる。 | ○ | 大平1824 | 未 | |||
諏訪神社 縁結神社 | 合祀 | 左口神 | 左口神 | じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として祀っていたが、 何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、 あせも・おできの神として信仰されている。(大平山桃源院HP) | ○ | 大平2943 | 未 | |||
石川稲荷神社 | 合祀 | 社護師神社 | 不詳 | 明治三十七年に社護師神社を合祀 | ○ | 石川710 | 社宮司社 | 未 | ||
左口(しゃぐう) 神社 | 本社 | 左口(しゃぐう) 神社 | 石神 | 子どもを愛する神という。多数の石錘が御神体。 (ふるさと愛鷹よもやま話) | ○ | 東椎路1204-1 | 石神社 | 石神 | 石神社 | 未 |
熱海市
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 豆州志稿 | 今井 | 踏査 |
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水口町社宮神社 | 本社 | 水口町社宮神社 | 社宮神 | かつて社宮神が鎮座していた森が明治期に田畝となり、一時は個人の庭内に祀られていたが、 大正二年、水口の旧地に小祠が建てられた。(熱海町誌) | ○ | 水口町 | 未 |
三島市
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 豆州志稿 | 今井 | 踏査 |
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右内神社 | 境内社 | 社護神社 | 社護神 | 境内社一 山神、第六天、淡島、床浦、秋葉、天神、 金比羅、社護神等を合祀(増訂豆州志稿八上) | ○ | 梅名1 | 未 | ||
正一位新田 稲荷大明神 | 地内 | おしゃもじさん | 江戸中期、富士山の宝永大噴火(1707年)により、 当地に逃れ来た人々が、新田稲荷を祀ると同時にこの 地に「おしゃもじさん」を祀ったと伝えられる。 昭和中頃までの「おしゃもじさん」は、当地の南方 100m弱の所にあった小区画に、松の木や榎に守ら れた三基の石柱を指していたようである。 (梅名自治会、梅名郷土史研究会による現地案内板) | ○ | 梅名498 | 未 | |||
赤王(あかおう) 神社 | 本社 | 赤王(あかおう) 神社 | 不詳 | かつては赤王山中にあったが、洪水で現在地に流され たという。 (増訂豆州志稿八上) | ○ | 大場883 | 楠石神 | 未 | |
赤王(しゃこう) 神社 | 本社 | 赤王(しゃこう) 神社 | 不詳 | 大塲村赤王神社の分祀也 初宇入穴に鎮座、後現地に 移すと云 (増訂豆州志稿八上) | ○ | 北沢139 | 赤五神社 | 未 | |
見目神社 | 境内社 | 御社護地神社 | 社護神 | 境内社一 神明、山神、秋葉、福石、八坂、天神、 社護神を合祀す (増訂豆州志稿八上) | ○ | 佐野1 | 社護神 | 未 | |
天泊神社 | 境内社 | 左宮司社 | 石神 | 境内社一 鯨宮、白山、熊野、稲荷、石神を合祀す (増訂豆州志稿八上) | ○ | 中4−1 | 石神 | 未 | |
左内神社 | 相殿 | 社宮司社 | 社宮司大神 | (静岡県神社志) 村社左内神社祭神不詳、相殿山神石神 (増訂豆州志稿八上) | ○ | 中島西310-2 | 未 | ||
神明宮 | 合祀 | 左宮司社 | 石神 | 明治廿年平田村石神社を合併す(増訂豆州志稿八上) | ○ | 平田53 | 未 | ||
天神社 | 合祀 | 左宮司社 | 石神 | 明治三十四年左宮司社と山神社を合祀 | ○ | 谷田274−2 | 左宮司神社 | 左宮神社 | 未 |
富士宮市
この地域は検地の道具を祀ったという伝承が特に強い印象を受ける。
明治に入ってからの測量後に創祀したというシャグジもあり、驚いた。
富士川に沿った山梨とのつながりも感じられる。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 今井 | 踏査 |
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三宮神社 | 本社 | 三宮神社 | 三宮神 | 由緒、創建年月不詳。 敷地や石垣の状態から、かつては現在より規模の大き な社殿があったと思われる。 | ○ | 狩宿46 | 左宮司社 | 2022/9/4 | |||
社宮司 (しゃぐうじ) 神社 | 本社 | 社宮司 (しゃぐうじ) 神社 | 社宮司神 | 「おしゃもちさん」と呼ばれ、検地の道具を納め、稲 荷として祀ったとされる。社殿が朱塗りされている。 | ○ | 小泉104 | 社宮司 | 2022/11/19 | |||
棹地(さおち) 稲荷神社 | 本社 | 棹地(さおち) 稲荷神社 | 宇迦之 御魂神 | 往古、検地竿を納めた所なので、「御竿地(オシャゴ チ)」と称される。 | ○ | 中央町7−6 | 棹地稲荷 (おさんごじさま) | 未 | |||
中里東 しゃもじ神社 | 本社 | 中里東 しゃもじ神社 | ○ | 中里東町 | 尺神 (おしゃもすつあん) | 2022/11/19 | |||||
山本八幡宮 | 境内社 | 社護神社 | (富士支部神社名鑑) | ○ | 山本字谷戸1 | 左宮司社 | 社護神 (おしゃもつっあん) | 2022/11/19 | |||
上稲子 三合地社 | 小祠 | 上稲子 三合地社 | 三合地 | 慶長十四年上稲子村御検地終了後、北ヶ谷戸に面積三 合の地を求めて器材を納め、コガの木を植えて三合地 社の祠を建て、祀ったという。 | ? | 上稲子北ヶ谷戸 | 未 | ||||
上柚野瀬古 三宮司 | 碑 | 上柚野瀬古 三宮司 | 三宮司 | 明治九年土地一筆測量の際、検地が終了した瀬古の地 に測量の器材を埋め篠竹を植え、碑を建てて三宮司と 刻み祀っている。 | ? | 上柚野瀬古 | 未 | ||||
大久保八幡宮 | 合祀 | 三宮地神 | 三宮地神 | 令和元年に区内の三宮地神を合祀 | ○ | 大久保608 | 左宮司社 | 左宮司三 | 左宮司社三 | 左宮司社 | 未 |
伊東市
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 踏査 |
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宇佐美八幡神社 | 境内社 | 杓子神社 | 不明 | 田方神社誌に八幡神社の境内社として記載されるが、他の地誌等に記載なし | ○ | 宇佐美字八幡1917 | 未 |
島田市
大井川をまたぐこの地域のシャグジは多様で面白い。
天台寺院の影響を受けたり、「山護神」として山の神になったり、帝釈天として寺院に祀られたり。
島田では、今もシャグジの息づかいが聞こえてくる。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 掛川誌稿 | 今井 | 踏査 |
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岸町浅間神社 | 合祀 | 山護神社 | 大山祇命 | 江戸期の岸村にあった山護神を明治十一年に合祀。 山護神の森は現在地東方の北条ヶ谷(通称「入りの 谷」)にあり、岸村の庄屋だった森下家の氏神として 祀られていたと伝わる。(島田風土記 ふるさと六合) | ○ | 岸町字宮前1 | 山護神 | 社宮司 | 左口司社 | 左宮司社 山護神 | 2022/11/5 | |
智満寺日吉神社 境内社熊野神社 | 合祀 | 砂居子 大明神 | 砂居子 大明神 | 千葉山智満寺の鎮守社として勧請された山王権現を 神仏分離に伴い日吉神社に改称。境内社に祀られた多 くの神々の一柱が砂居子大明神 | ○ | 千葉253 | 砂居子 大明神 | 2022/11/5 | ||||
東光寺日吉神社 | 末社 | 山之神社 (山護神社) | 山護神 | 東光寺の伽藍神である山王権現を明治九年に日吉神社 に改称。明治の神仏分離に伴い、村内に散在する社祠 が統合され、参道に末社として祀られたうちの一社が 山護神社。 旧社地は当地の南方にあり、山護神(さごじ)呼ばれ た。地名と社地の痕跡がわずかに残る。(島 田風土記 ふるさと六合、今川氏と東光寺) | ○ | 東光寺614 | 山護神 | 社宮司 | 社宮神 山護神 | 2022/11/5 | ||
阿知ケ谷 天満天神社 | 境内社 | 山護神社 | 大山祇命 | 阿知ケ谷字山ノ神にあった山護神社を明治十二年に境 内社とした。(島田風土記 ふるさと六合) | ○ | 阿知ケ谷 624 | 社宮神 | 2022/11/5 | ||||
山の神 (山護神) | 旧地 | 山の神 (山護神) | 山護神 | 東昌寺跡の近くに山護神の遺跡がある。土地の人は 「おしゃもっさん」と呼んでいる。(私たちの郷土阿 知ヶ谷誌) | × | 阿知ケ谷 | 2022/11/5 | |||||
左軍神社 | 本社 | 左軍神社 | 貴重な独立社だが、由緒に関する資料は一切見つから ない。 | ○ | 伊太(旗指) | 社宮神 村の土神 | 2022/11/5 | |||||
おしゃもじ地蔵 | 本社 | おしゃもじ地蔵 | 別名イボとり地蔵と呼ばれる。 平癒を祈願し、イボが取れるとお礼にしゃもじを納め る。 創祀年月不明だが、大正から昭和にかけて近在に崇め られたという。 神谷城の「神」は旧石神村に由来する。 | ○ | 神谷城 字中尾 659 | 2022/7/18 | ||||||
釈地尊天堂 (おしゃもじ様) | 本社 | 釈地尊天堂 (おしゃもじ様) | 釈地尊天 | 新田開発の検地に使用した尺棒を埋め、土地神を祀っ たとされる。 掛川誌稿に「田野ノ間小キ森ニ古楠樹 一株四抱許ナルアリ、其下ニアル小祠ナリ、夜叉神ヲ 祀ルト云」とある。現在は帝釈天として祀られている という。 (村の生い立ちと歩み-志戸呂五個村と牛尾村-、 かなやの史話・民話・伝説見て歩く) | ○ | 牛尾字 本田山 1443 | 夜叉神 | 社宮子 石神、 杓子共 | 2022/11/11 | |||
敬満神社 | 合祀 | 三狐神社 | 御食都神 | 明治七年五月三狐神社(元地 久保沢)を合祀 | ○ | 阪本 4054-1 | 2021/11/28 |
富士市
富士川は道祖神分布の境界である。富士川より東はシャグジと混在する上に石神信仰も重なり、線引きに戸惑う。
西岸の旧富士川町には道祖神がほとんどなく、松野地区中心に多くのシャグジ伝承がある。
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 駿河志料 | 駿河國 新風土記 | 駿河記 | 今井 | 踏査 |
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社護子神社 (お杓子神社) | 本社 | 社護子神社 (お杓子神社) | 社護子大神 (咳の神) | 川坂のおしゃもっさん 近隣から咳の神様として厚く信仰されている。 (ふるさと富士川第二集) | ○ | 中之郷字川坂 3972−4 | 社宮司 | 2021/11/10 | |||
木島の おしゃもっさん | 小祠 | 木島の おしゃもっさん | 木島の家並みの中程におしゃもっさんがある。 昔は広く、境内に桜やもちの木があり、 小正月にはドンド焼が行われた。 子どもの夜泣きや病気の神様で、 願をかけて治ると礼に杓文字を納めた。 (ふるさと富士川第二集) | ? | 木島 | 未 | |||||
室野の おしゃもっさん | 小祠 | 室野の おしゃもっさん | 室野のおしゃもっさんは室野の北のはずれにある。 昔、室野の土地に初めて住み着いた人たちの長(おさ) を祀ったといわれ、家を建てる時の縄張りに使った杓 子定規を祀ったといわれる。 (ふるさと富士川第二集) | ? | 木島字室野 | 未 | |||||
大北の おしゃもっさん | 小祠 | 大北の おしゃもっさん | 北松野にはおしゃもっさんが二ヶ所あった。 両方とも子どもの神さまで、子どもが病気したような 時は、近所の人が治るようにお杓子をあげた。 祭日は神さまに御題目をあげて、赤飯をたいて子ども たちにくれた。(ふるさと富士川第二集) | ? | 北松野字大北 | 未 | |||||
清水ケ糸の おしゃもっさん | 小祠 | 清水ケ糸の おしゃもっさん | 同上 | ? | 北松野 字清水ケ糸 | 未 | |||||
原方の おしゃもっさん | 小祠 | 原方の おしゃもっさん | 原方のおしゃもっさんは子どもの夜泣きの神さんで、 夜泣きする子どもで困ってしまうと、 おしゃもっさんに油揚げを二、三枚供えて、治るよう にお願いした。(ふるさと富士川第二集) | ? | 南松野字原方 | 未 | |||||
平清水の おしゃもつさん | 本社 | 平清水の おしゃもつさん | 大正二年の松野村誌に掲載された 「南松野村諸神々御社諸寺々寺内目録」 (元禄期の作成と思われる)に平清水の社宮神が記載 されている。 | ○ | 南松野 字平清水 | 2023/7/30 | |||||
岩本の おしゃもっさん | 小祠 | 岩本の おしゃもっさん | 社宮地 之大神 | 歯痛の際、納めてあるしゃもじでさすると痛みが治ま るとされる。 治れば新しいしゃもじを返す。 | ○ | 岩本(旭町) | 左宮司 | おしゃもす様 | 2022/7/30 | ||
稲荷神社 | 配祀 | 社宮司神社 | 社宮司神 | 富士支部神社名鑑に稲荷神社の配祀神として社宮司神 が記されている。 | ○ | 本市場 92−1 | 未 | ||||
横割社宮司神社 | 本社 | 横割社宮司神社 | 社宮司神 | 安永三年(1774)の棟札に社宮司神の記載がある。 (富士支部神社名鑑) | ○ | 横割本町 11 | 石神社 | 石神祠 | 石神社 | 社宮司神社 | 未 |
原田五社神社 | 合祀 | 社護神社 | 社護神 | 明治以降に合祀 | ○ | 原田 1140 | 左宮司社 | 石神社 おしゃもつっあん | 2022/11/19 | ||
西比奈春日神社 | 摂社 | 尺地神社 | 尺地神 | 本殿に三つの祠があり、右側に尺地神が祀られている。 明治四十年に合祀した尺地神社は 現在の日本製紙工場敷地内(字西障子816)に鎮座し ていた。 昭和の初め頃まで旧地も祀られていたが、 周囲が藪となり祀る人もいなくなったという。 尺地神社に祀られていた石は、現在八坂神社の本殿前 に祀られている。(吉永地区神社の歴史) | ○ | 比奈字蔵屋敷 966 | 左口司社 | シャゴジ | 石神祠 | 尺地神 おしゃごつっあん | 2022/11/19 |
西比奈八坂神社 | 関連 | 尺地神社 | 尺地神 | 西比奈春日神社の境外社。 隣接する日本製紙工場敷地内(字西障子816) に鎮座していた尺地神社に祀られていた石を本殿前に 祀る。(吉永地区神社の歴史) | - | 比奈字西障子 842 | 左口司社 | 尺地神 おしゃごつっあん | 2022/11/19 | ||
中比奈御崎神社 | 配祀 | 尺地神 | (富士支部神社名鑑) | ○ | 比奈字御崎戸 1066 | 尺地様 おしゃもじさま | 2022/11/19 | ||||
江尾の おしゃもっさん | 小祠 | 江尾の おしゃもっさん | 尺地神 | おしゃごっさんともいう。 検地の際に使った間竿(お尺)を納めて祀ったといわ れ、「お尺もち」が「おしゃもち」に訛ったとされる。 祠の下に湧水があり、毎月1日と15日に塩と米とシ バを供える。 (広報ふじ平成11年「富士の民話あれこれ」) | ○ | 江尾 | おしゃもつ様 | 未 | |||
間門浅間神社 | 配祀 | 佐口神 (さくじん)社 | 岐ノ神 猿田彦命 | 境内社 五社宮神社の一つ(吉永地区神社の歴史) | ○ | 間門字峰山 240 | 石神 | 未 | |||
鵜無ケ淵神明宮 | 境内社 | 石能神 | 石神 岐神 | (吉永地区神社の歴史) | ○ | 鵜無ケ淵 字宮後 295 | 未 | ||||
船津浅間神社 | 境内社 | 石自神宮 | 石自(しゃくじ)神宮。俗称おしゃもつさん。 昔検地に使われた物差しを祀ったものと云われている。 (郷土誌浮島) | ○ | 船津 619 | 未 |
磐田市
本社等の名称 | 区分 | シャグジ社等名称 | 祭神 | 備考 | 現存 | 字地番 | 今井 | 踏査 |
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笠梅六所神社 | 境内社 | オシャモッサマ | 六所神社北の小祠。風邪や寝小便に御利益ありと伝わ る。(磐田昔がたり) | ○ | 笠梅797−1 | 未 | ||
西貝塚須賀神社 | 境内社 | 社口神社 | 猿田彦命 | 勧請年月不詳。明治九年三月、本村字源次郎谷から遷 座 | ○ | 西貝塚1437 | 未 | |
西貝塚須賀神社 | 合祀 | オサグッさま | 舎軍利の坂の中腹の林の中に祀られていた小祠を合祀 | ○ | 西貝塚1437 | おさぐつあん | 未 | |
中泉の御社文字様 | 小祠 | 社口神社 | 「石神問答」の山中笑(共古)による「見付次第」に 記載あり。 中泉代官所の入口に鎮座し、代官所の守護神だったと いう。現在は磐田駅の一角に保存されている。 | ○ | 中泉字御殿 | おさもつさま | 未 | |
石宮神社 | 本社 | 石宮神社 | 猿田彦命 | 太郎馬新田の氏神。シャグウ神社、あるいはイシミヤ 神社という。 磐田市浜部との境に近接する。(福田町史資料編民俗) 角川日本地名大辞典では社子神社とする。 | ○ | 太郎馬新田41 | 未 | |
大当所諏訪神社 | 相殿 | 社宮司社 | オシャモツ様。かつて諏訪神社鎮座地麓の社宮司集落 で祀られていたシャグジが同社境内に遷座され、昭和 に入り、相殿となった。 (豊岡村郷土研究クラブ「しのびぐさ」) | ○ | 大当所296 | 未 | ||
野邊神社 | 境内社 | 社宮司神社 | 不詳 | 明治九年、磐田郡敷地村字社宮司から遷座 | ○ | 敷地940 | おしゃぐりさま | 未 |
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