手越少将井神社(左口神社)

静岡市駿河区手越202

「千手の前」像
「千手の前」像

概要

手越少将井神社は建久四年(1193年)の創建とされる。
曾我兄弟の仇討ちが行われた年である。
神社名は、兄弟に仇討ちされた工藤祐経に仕え、海道一の遊女ともいわれた「手越の少将」にちなむとされる。

鳥居

祭神は素戔嗚命。

由緒書
由緒書

明治二十二年に手越字桜山鎮座の村社神明宮(天照大神)、手越字向山鎮座の山王神社(大山咋神)、手越字水神鎮座の水神社(罔象女命)の三社を合祀。
さらに、手越字藤ノ木鎮座の左口神社(猿田彦命)を境内社としたが、後に合祀した。
この結果、当社の祭神は五柱となった。
なお、左口神社は江戸初期の元和創建と伝わる。

拝殿
拝殿
本殿
本殿

また、境内には、平重衡に仕えた白拍子「千手の前」の像が建てられている。
「千手の前」は能の演目「千手」のモデルで、手腰長者の娘とされる。
そして、当社は長者の館跡と推定されている。

「千手の前」紹介碑
「千手の前」説明板

踏査結果・考察

手越少将井神社の社名は「手越の少将」に由来するとされる。
しかし、「手越の少将」では、“井”が何に由来するのかを説明できない。

一方、「少将井」と言えば、一般に京都の「少将井尼」の居宅にあった井戸の名前として知られる。
「少将井」には祇園社(現八坂神社)の御旅所が置かれたことから、スサノオ所縁でもある。
ただし、京都の少将井神社の祭神は櫛稲田姫神とされ、スサノオではない。
現在は宗像神社の境内社として祀られている。

「手越の少将」と「少将井」、どちらが当社の本来の由緒かはわからない。
いずれにせよ、安倍川の渡しの宿場である手越には、古くから様々な伝承が折り重なっているということなのだろう。

拝殿内
拝殿内 左口神社の名も見える。

左口神社は江戸初期の創建とされる。
手越にあった他の神社とともに、合祀後もきちんと名前が残されていた。
当地域の一般的なシャグジの類型に該当するが、宿場町としての独自性が見られないか、今後も留意しておきたい。

2022/9/11踏査

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