杉山八柱神社(作工司大明神)

静岡市清水区杉山字宮ノ前426

杉山八柱神社拝殿

概要

杉山八柱神社は、明治初期に旧庵原郡杉山村の氏神八社を合祀した神社である。
五十一戸しかない村に八社もの神社があり、各社の氏子は少ないものは一戸、多くても十数戸だったため、敬神の意を欠くとして合祀したとされている。

八柱神社鳥居

実際は、神社合祀令に伴う一村一社化の流れに沿った合祀であるが、杉山村においてはその後の発展の確かな礎となった。

なお、庵原村誌によれば、八社の内訳は以下のとおりである。

神名氏子戸数旧鎮座地
作工司大明神 祭神不詳拾戸片平菊次郎裏地ニ在リシ
大國主命一戸牧田喜之右エ門裏山ニアリシ
八幡大神 祭神譽田別命
天滿天神 祭神菅公
六戸現在本社ノ所在地ニアリシ
金山彦命一戸海潮寺ト片平忠平屋敷トノ間ニ在リシ
白髭大明神 祭事武内宿禰六戸青木清治郎屋敷横ニ在リシ
ヤイノウジ樣 祭神不詳八戸杉山澤ノ奥ニ在リシ
天滿天神 祭神菅公拾一戸戸倉望月福藏ノ裏山ニ在リシ

報徳思想の指導者として知られる杉山村の名主、片平信明がこの合祀を主導した。
合祀後の鎮座地は八幡大神・天滿天神の旧鎮座地であるが、二つの候補地から籤引きで決めたそうだ。
(大正二年「庵原村誌」、「杉山報徳社紀要」、庵原公民館高齢者大学「庵原の歴史」より)

八社のうち「作工司大明神」がシャグジと考えられる。
また、駿河志料及び駿河記の杉山の項には、それぞれ左口司社、左宮司社があったと記されている。

「ヤイノウジ様」という神様の名前は初めて聞く。何かの転訛か独自の信仰か、まったくの不明である。

踏査結果・考察

現地の由緒書には「作工司大明神」が祭神として明記されていた。
他のシャグジでは見たことがない表記である。
読み方は、由緒書では「さこうじ」とされているが、「さぐうじ」とする資料もある。

由緒書

一方、拝殿や本殿には合祀前の出自を示す手がかりは見当たらない。

拝殿前鳥居
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿

また、「合祀後の八柱神社が杉山報徳社発展の基盤となった。」という逸話は多く残るものの、
貧困極まる時代の信仰だったためか、作工司大明神に関する伝承は知られていない。

平地が乏しく地区も分散し、長く困窮が続いた杉山村において、
「作工司」という名にどのような祈りが込められていたのか。思いは巡る。

そして「ヤイノウジ様」の正体も気にかかる。

2023/4/29踏査

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