![左宮司社、城山観音、水天宮](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6210-1024x576.jpg)
概要
![持舟城址](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6240-1024x576.jpg)
用宗浅間神社は、今川から武田、徳川に至る戦国期の激戦地、持舟城の麓に鎮座する。
主な城主として挙げられる今川義元の有力家臣、関口親永は瀬名姫(築山殿)の父として知られる。
また、地名の「城山」も持舟城に由来する。
![持舟城本丸址](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6236-1024x576.jpg)
さて、用宗浅間神社は、現在は境内社となっている八幡神社と共に、古くから用宗の氏神であった。
創建年は不明だが、検地の記録から、両社とも江戸初期には鎮座していたと考えられている。
![用宗浅間神社鳥居](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6187-1024x576.jpg)
![用宗浅間神社拝殿](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6195-1024x576.jpg)
また、浅間神社、八幡神社に続き、今駒社(現熊野神社)も用宗の氏神となった。
なお、駿河記は「今駒」を「今熊野」の転訛としている。
八幡神社、熊野神社は、平成二十三年に両社とも浅間神社の境内に遷座した。
![八幡神社、熊野神社](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6208-1024x576.jpg)
この遷座は用宗全体の祭事統一が契機となった。
それまで各神社で行われていた祭りが、浅間神社の境内社である津島神社の祇園祭に統一されたのである。
なお、両社のかつての社殿は、現在も元の鎮座地にそれぞれ残されている。
![旧八幡神社拝殿](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6266-1024x576.jpg)
![旧熊野神社拝殿](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6252-1024x576.jpg)
また、その他の境内社として、
津島神社
辨天社
水神社
左宮司社(静岡市神社名鑑では左口社) がある。
![津島神社](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6209-1024x576.jpg)
![辨天社](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6193-1024x576.jpg)
![水神社](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6207-1024x576.jpg)
(静岡市神社名鑑、用宗町誌、戸塚翔「祇園祭から見る用宗の信仰」より)
踏査結果・考察
現地を訪問すると、比較的小規模な神社ではあるものの、
これまで用宗にあったすべての神社が集められ、賑やかな境内となっている。
![城山観音道側の浅間神社鳥居](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6212-1024x576.jpg)
![八幡・熊野神社、水神社、津島神社が並ぶ](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6205-1024x576.jpg)
左宮司社も祠に社名が明記され、両側には神社名鑑に記載のない城山観音と水天宮が祀られていた。
![左宮司社、城山観音、水天宮](https://wonder-gonbuto.com/wp-content/uploads/2023/03/DSC_6211-1024x576.jpg)
駿河記、駿河志料は用宗に社宮司社があるとしているが、社名のみの記載となっている。
また、用宗町誌も「小さな祠であったものとみられる」との言及にとどまり、遷座の経緯や御利益等は伝わっていない。
とはいえ、駿河湾に面した農漁村だった用宗における、「農」の側面を表すシャグジと言える。
2023/2/11踏査
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