元小浜のおしゃもっつあんの森(左口明神)

焼津市小浜(元小浜地区)

おしゃもっつあんの森

概要

元小浜は大崩海岸沿いにある唯一の集落である。
大字小浜の一部ではあるが、花沢山方面から浜当目に至る尾根により、小浜地区とは隔てられている。

元小浜とは、文字通り「元の」小浜という意味である。
近世以前の小浜は今の元小浜の場所にあったが、
度重なる暴風波浪により崩壊浸食が進んだため、集落ごと内陸部に移転したという。

移転した時期は明確でないが、
小浜の氏神である塩釜神社は、天正十二年(1584)に沿岸から内陸へと移転したと伝わっており、
「塩釜」という製塩に関わる神社名や「小浜」という村名が、元来は海村であったことを示している。

塩釜神社
塩釜神社

江戸期を通じ定住者はいなかったと思われる元小浜だが、明治に入ると小浜から元小浜への再移住が始まり、今に至る。

このような経緯から、現在の元小浜には神社も寺院もないが、
「高草山麓のむかし話」によれば、木を切ると祟があると言い伝えられ、村人全体が神聖視する、
「おしゃもっつあんの森」と呼ばれる場所があるという。

(塩澤藤雄「高草山麓のむかし話」、「焼津市史民俗編」、「志太地区神社誌」)

踏査結果

斜面崩落に伴い現在浜当目トンネルが通行止めとなっているため、
焼津側から元小浜に行くことはできず、用宗側から元小浜に向かった。

「おしゃもっつあんの森」と思われる場所は、現在も森のまま残されていた。

おしゃもっつあんの森付近
おしゃもっつあんの森付近

祠などは見当たらなかったが、四方に枝を広げた存在感のある樹木があった。
伝承は今も生きているのだろうか。

おしゃもっつあんの森
おしゃもっつあんの森

考察

「おしゃもっつあんの森」は江戸期以前からの伝承と思われるが、駿河志料をはじめとする一般的な江戸期の地誌には記録がない。

さらに、元小浜からは寺社も内陸部に移転していたにもかかわらず、旧来のシャグジ信仰は現在まで維持されたという伝承に対し、いささか懐疑的な印象を抱いていた。

しかし、現地踏査後、「高草山麓のむかし話」とは別の「おしゃもっつあんの森」に関する記録を見つけた。

駿府一加番を務めた池田定常が寛政九年(1797)に記した巡検記「駿河めぐり」である。

駿河めぐりでは、八月十日に広野、用宗、石部から日本坂を越えて当目に至るが、その中で元小浜についても触れている。

「坂の間数千回 此間を元小濱と云ふ。左の海邊にゑぼし岩、山の麓に、左口明神の森在り。坂のたうげ右に大日の石像在り。」

「ゑぼし岩」は現在の「たけのこ岩」を指すと思われ、大日堂も健在である。
そして「左口明神の森」は「おしゃもっつあんの森」を指すと考えられ、江戸中期以前から存在していたことが確認できる。

たけのこ岩 奥に見えるのは虚空蔵山
たけのこ岩 奥に見えるのは虚空蔵山
大日堂
大日堂 三体の像が安置されている。

更に言えば、「おしゃもっつあんの森」は、実際には小浜地区の移転前、天正期以前にまで遡るシャグジ信仰の旧跡なのだろう。
 
2024/12/21踏査

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