概要
吉永八幡宮は平安初期の大同元年(806)創祀と伝わる古社である。
旧志太郡吉永三ヶ村の氏神であり、江戸期以来の大名行列を模した神輿渡御が伝承されていることで知られる。
この神事は、島田帯まつりをはじめ、大井川下流域に四例伝承されている祭礼大名行列の一つである。
なお、現在の焼津市(旧大井川町)利右衛門、吉永、高新田が、かつての吉永三ヶ村に相当する。
明治九年に利右衛門字上島にあった熊野社を相殿としている。
このほか、かつて村内で祀られていた多くの神々が境内に寄せられている。
境内社の秋葉神社には、
金比羅神社、正八幡宮、若宮八幡宮、上諏訪神社、下諏訪神社、
住吉神社、天神社、玉津島神社、人丸神社、津島神社が合祀されている。
また、同じく境内社の稲荷神社には、
厳島神社のほか、笑子神社、金毘羅神社、社子神社が合祀されている。
このうち、笑子神社、金毘羅神社、社子神社は、文政年中(1818~1831)に熊野社の境内社となっていた。
その後、明治九年に熊野社とともに八幡宮境内に遷され、
さらに、昭和三年、八幡宮境内社の稲荷神社に合祀された。
そして、シャグジと考えられる社子神社の祭神は少彦名命とされる。
熊野社への合祀前は、利右衛門字西川原にあったという。
なお、当社の別当寺は真言宗の医王山円永坊だったが、檀家を持たなかった故に明治六年に廃寺となっている。
(県記録選択「大井川下流域の大名行列・奴道中」記録作成事業報告書「吉永八幡宮大名行列」、「吉永村誌」、「大井川町史」)
踏査結果・考察
合併合祀を繰り返しながらも、当地にかつてシャグジがあったことはしっかりと記録されていた。
しかしながら、それ以外の旧記の一切は失われている。
わずかに祭神が少彦名命とされていることが手がかりである。
祭神が少彦名命であることは、
近隣にある上小杉八幡宮境内社の社護神社の祭神が大名牟遅神、少名毘古那神であることに類似する。
さらに、社子神社においては少彦名命のみが祭神となっていることに注目したい。
スクナビコナは様々な性格を持つ神とされ、石の神としての性質も持つ。
また、医薬、酒などの知識を広めたという、防疫神や渡来神を思わせる性質もあり、
シャグジと一定の親和性がある祭神のように思う。
一方で、シャグジの祭神を猿田彦としなかった背景には、
上小杉と同様に、吉永では庚申の本尊として猿田彦が多く祀られ、
八幡宮祭礼の神輿渡御の先導も猿田彦が務めるなど、
各種の信仰において猿田彦の出番が多すぎるという実情もあったような気がする。
さて、社子神社の創祀時期は伝わっていないが、
平安初期創祀とされる八幡宮をはじめ、熊野社、円永坊についても、古代にまで遡る信仰の歴史がうかがえる。
今となっては確かめる術はないだろうが、藤守と同様、吉永の社子神社も深い歴史を持つシャグジなのかもしれない。
2023/8/19、2024/5/19踏査
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