概要
焼津神社は日本武尊を主祭神とする延喜式内社である。
総国風土記に反正天皇四年(409)創建とある古社であり、日本武尊伝承で知られる。
武家時代に入江大明神と称したことから「入江さん」とも呼ばれる。
また、毎年八月十二、十三日に行われる大祭は「東海一の荒祭」として名高い。
多くの摂末社があるが、本記事では境外末社が寄せられた五社神社に着目し、
各種の地誌における記載と現状を以下に比較整理した。
地誌 | 藤之宮神社 | 天神社 | 王子神社 | 市神社 | 天白社 | シャグジ |
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新風土記 (1816~1834) | 富士宮 | 天神社 | 王子宮 | 市神社 | 天白社 | - |
駿河記 (1820) | 藤宮天神社 | (同左) | 王子森 | 庚申 | 天白社 | 社宮司 |
駿河史料 (1861) | 藤之森 | 天神 | 王子森 | 猿田彦社 | - | 社宮司 |
焼津町誌 (1913) | 藤之宮 (藤ノ森) | 天神社 (天神ノ森) | 王子社 (王子ノ森) | 市神社 (市神) | 天白社 (天白ノ森) | 佐宮子社 (同左) |
現在 | 藤之宮神社 (宇賀御魂命) | 天神社 (景行天皇) | 王子神社 (日本武尊) | 市神社 (猿田彦神) | 天白社 (大日孁尊) | ? |
(「焼津町誌」、「焼津市誌」、「焼津市史 民俗編」、「志太地区神社誌」)
踏査結果・考察
焼津神社に関する昭和以降の資料には、シャグジ関連の記載は見つからない。
また、日本武尊が存在感を放つ焼津神社の境内にも、シャグジの気配は一切感じられない。
しかし、大正二年の焼津町誌に、わずかに「佐宮子社」の記載がある。
その書きぶりから、佐宮子社は天白社とともに「天白ノ森」に鎮座していたと思われる。
天白とシャグジは一体で祀られる例が数多くあり、その分布地域も重なっている。
焼津においても同様の傾向が顕著であり、鎮座も同時期ではないかと考える。
さて、焼津町誌には
「明治三十四年五月八日 境外末社藤之宮以下六社 縣社焼津神社ハ合祀の指令ヲ得テ境内末社トス」
とあるが、焼津市誌では
「藤之宮以下五社は、明治三十四年五月合祀指令ヲ得て当焼津神社の境外末社とした。」
とされ、六社から五社に一社減ってしまっている。
減ってしまったこの一社が佐宮子社である。
天白の森から焼津神社境内に遷される過程で天白社に吸収されてしまったのだろう。
個人的に残念な思いはあるが、いかにもシャグジらしい身の隠し方だな、とも思う。
2023/8/25踏査
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