概要
伊佐布伊勢神明社の境内には、かつて日蓮宗信徒の氏神として三十番神が祀られていた。
番神は天保十一年に安穏寺に遷され、その後、村内の各氏神を当地に奉斎し、伊勢神明社が建立された。
当地の字名の寺平は、かつて神明社の境内に長久山光林寺という真言寺院があったことに由来するという。
さて、庵原村誌は伊勢神明社に以下の境内神社があるとしている。
金山社(祭神不詳)
天神社(祭神菅公)
左口社(祭神不詳)
左口社は明治八年に大上より遷宮したもので、
大上の最旧家と称する朝倉家の屋敷内に祀られていたものである。
上伊佐布の左口社は朝倉家のほか、望月、小長谷の一族が祀り、
下伊佐布の左口社は山田氏が祀ったという。
(大正二年「庵原村誌」、庵原公民館高齢者大学「庵原の歴史」より)
駿河記の伊佐布の項には上下それぞれに左宮司社があることが記され、
駿河志料でも伊佐布には左口司社があり、一つは上伊佐布にあったとされている。
ただ、下伊佐布の左口社の現状は不明である。
踏査結果・考察
伊佐布伊勢神明社のシャグジは、屋敷神由来であることが明確に伝承されている点が特徴的である。
本県においてシャグジを屋敷神として祀る例は珍しくないが、
静岡・清水地域に限っては他に具体例を承知していない。
集落ごとに祀られたシャグジとの意味合いの違いが気にかかる。
とはいえ、江戸期の地誌に記録があるということは、地域全体で祀っていたのだろう。
なお、上伊佐布の左口社を祀っていた朝倉氏は安倍川流域の柿島から移住してきたという。
柿島にも社宮司があったとされるが、現存は確認できていない。
また、朝倉家と共に左口社を祀っていた望月氏は武田の落人の末裔とされる。
当地は諏訪大明神を信仰した武田信玄の影響が色濃い地域である。
上流部に当たる西里には諏訪神社が鎮座し、貝伏(甲斐武士)という小地名もある。
2021/12/19踏査
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