概要
石津八幡宮は、永正元年(1504)鎮座と伝わる旧志太郡石津村の氏神である。
古くは「大井天王七社」と称したといい、大井川氾濫の影響を受けることが多い地域の行疫神、水神的な天王信仰の場だったと考えられている。
現在の八幡宮にも境内に津島神社があり、天王信仰が受け継がれている。
さらに、石津では各字ごとに津島神社を祀っている。
八幡宮の津島神社はそれらの総社という位置づけである。
他の境内社に稲荷神社がある。
また、明治四十年に字西浦の左軍神社(オシャモッツァン)、字中の島の天白神社を合祀した。
左軍神社の祭神は猿田彦命である。
(静岡県史民俗調査報告書「石津の民俗」、「焼津市史 民俗編」、「小川町誌」、「志太地区神社誌」)
踏査結果・考察
現地の由緒書に「左口神社」の合祀に関する記載があった。
ただ本来は、各種の地域資料にある「左軍神社」が正式な表記ではないだろうか。
田尻北の栄田神社と同じく、左軍神社は八幡宮本社に合祀されている。
境内には由緒書以外にその存在を示すものは見当たらない。
ところで前述の「大井天王七社」についてであるが、棟札によれば、その内訳は
「大井八幡宮、午王子天王、西宮大明神、八王子天王、若王子天王、三五権現」
だという。
七社と言いつつ六社しかないことも気になるが、更に気になるのが末尾にある「三五権現」である。
この神名は郷島浅間神社に合祀されたシャグジと思われる「三五神社」に通じる。
このため、合祀された左軍神社とは別のシャグジが祀られていた可能性が頭に浮かぶが、
天地を構成する「三光五行」に由来する、シャグジとは関係のない神名とも考えられる。
さて、近隣の小川新町にあるオシャモッツァン(左口森)には、
「子どもの麻疹が治ると、その子を箕に入れてチョーズ神(厠神)の前に座らせ、カラスの左羽根で頭を撫でてからオシャモッツァンに参る」
という風習があったそうだ。
石津にも同様の風習があるが、オシャモッツァンには参らない。
しかし、かつては小川新町と同様の信仰形態だったと考えられている。
このように、小川地区のシャグジには行疫神的な側面が垣間見える。
2022/10/1踏査
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