概要
杉山八柱神社は、明治初期に旧庵原郡杉山村の氏神八社を合祀した神社である。
五十一戸しかない村に八社もの神社があり、各社の氏子は少ないものは一戸、多くても十数戸だったため、敬神の意を欠くとして合祀したとされている。
実際は、神社合祀令に伴う一村一社化の流れに沿った合祀であるが、杉山村においてはその後の発展の確かな礎となった。
なお、庵原村誌によれば、八社の内訳は以下のとおりである。
神名 | 氏子戸数 | 旧鎮座地 |
---|---|---|
作工司大明神 祭神不詳 | 拾戸 | 片平菊次郎裏地ニ在リシ |
大國主命 | 一戸 | 牧田喜之右エ門裏山ニアリシ |
八幡大神 祭神譽田別命 天滿天神 祭神菅公 | 六戸 | 現在本社ノ所在地ニアリシ |
金山彦命 | 一戸 | 海潮寺ト片平忠平屋敷トノ間ニ在リシ |
白髭大明神 祭事武内宿禰 | 六戸 | 青木清治郎屋敷横ニ在リシ |
ヤイノウジ樣 祭神不詳 | 八戸 | 杉山澤ノ奥ニ在リシ |
天滿天神 祭神菅公 | 拾一戸 | 戸倉望月福藏ノ裏山ニ在リシ |
報徳思想の指導者として知られる杉山村の名主、片平信明がこの合祀を主導した。
合祀後の鎮座地は八幡大神・天滿天神の旧鎮座地であるが、二つの候補地から籤引きで決めたそうだ。
(大正二年「庵原村誌」、「杉山報徳社紀要」、庵原公民館高齢者大学「庵原の歴史」より)
八社のうち「作工司大明神」がシャグジと考えられる。
また、駿河志料及び駿河記の杉山の項には、それぞれ左口司社、左宮司社があったと記されている。
「ヤイノウジ様」という神様の名前は初めて聞く。何かの転訛か独自の信仰か、まったくの不明である。
踏査結果・考察
現地の由緒書には「作工司大明神」が祭神として明記されていた。
他のシャグジでは見たことがない表記である。
読み方は、由緒書では「さこうじ」とされているが、「さぐうじ」とする資料もある。
一方、拝殿や本殿には合祀前の出自を示す手がかりは見当たらない。
また、「合祀後の八柱神社が杉山報徳社発展の基盤となった。」という逸話は多く残るものの、
貧困極まる時代の信仰だったためか、作工司大明神に関する伝承は知られていない。
平地が乏しく地区も分散し、長く困窮が続いた杉山村において、
「作工司」という名にどのような祈りが込められていたのか。思いは巡る。
そして「ヤイノウジ様」の正体も気にかかる。
2023/4/29踏査
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