天皇神社(左口松)

焼津市駅北5丁目1-26

左口松

概要

天皇神社は旧益津郡中村の氏神である。
江戸期までは天王社と称したが、祭神が後醍醐天皇(尊治尊)であることから、明治期に天皇神社に改称した。

天皇神社

かつては焼津駅の百数十mほど北側の字丸田に鎮座していたが、区画整理に伴い、昭和四十四年に現在地に遷座。

創立年月は、焼津町誌や志太郡誌等では不詳とされているものの、志太地区神社誌には延元二年(1337)創立とある。

祭神については、近世俗書で親子ともされる宗良親王、興良親王のいずれかが、遠江から南朝方の安倍城主、狩野貞長らを頼り、
駿河に渡御した際、当地に仮の御所を建てたことから、里人が御徳を慕い、後醍醐天皇を勧請したと伝わる。

拝殿

さて、旧益津郡中村にあった神社について、
駿河志料は、天王社、西宮(祭神吉野蔵王権現)、社宮司社としている。
また、同時期の万延元年の中村絵図にも、天王社、西之宮、弁天のほか、「左口松」が見える。

万延元年中村絵図
万延元年中村絵図(焼津市第5自治会所蔵)

しかし、現在、かつて中村があった区域内にシャグジの痕跡は見当たらない。
郷土誌等にも、社宮司社、左口松のその後の行方に関する記載はない。
さらに、神社誌等を確認しても、氏神である天皇神社に合祀された様子もない。
通常はこれで万事休すである。

ところが、益津郡のシャグジの取りこぼしがないか、今井野菊氏の踏査結果を確認していた際、
「益津郡中村天王山内西ノ宮口」に所在する「佐宮司社」が記録されていることに気づいた。

この所在地は、明らかに現在の(移転前の)天皇神社を指している。
今井氏は踏査の過程で、社宮司社の天皇神社への合祀を確認できたのではないだろうか。

(「焼津町誌」、「焼津市史民俗編」、「志太地区神社誌」、「静岡県志太郡誌」)

踏査結果・考察

中村にあった神社のうち、西宮と社宮司社は天皇神社に合祀された可能性が高いが、
神社誌等に合祀の記録はなく、今井氏の記録以外に明示した資料は見当たらない。
つまり、あとは現地を訪問するしか確認手段はない。

焼津駅、焼津港周辺は、区画整理により江戸期から大きく変貌しており、
天皇神社も昭和時代に移転したことから、往時の痕跡の残存はあまり期待していなかった。
しかし、現地を訪問すると、鳥居脇にある地名碑には、真っ先に「西之宮」が刻まれていた。

地名碑「中」

さらに、境内には移転新築の際に建立された由緒碑もあり、
そこには境内社に蔵王神社(別称 西宮神社)があることも明記されていた。

由緒碑
由緒碑
天皇神社扁額脇に蔵王社(別称 西宮神社)の扁額も掲出
天皇神社扁額脇に蔵王社(別称 西宮神社)の扁額も掲出

境内社殿には、秋葉神社、津島神社、稲荷神社が祀られている。

境内社殿
境内社殿
境内社

ここまではよかったが、残念ながら、シャグジ合祀の証拠を見つけることはできなかった。
では、今井氏はどのようにして「天王山内西ノ宮口」のシャグジを知ったのだろう。
「西ノ宮口」とあるからには、先に西宮社に合祀され、さらに天王社に合祀されたのだろうか。
あるいは、移転前の天皇神社ではそれが確認できたのかもしれない。

なお、天皇神社近くの瀬戸川沿い、中公園グラウンドの裏側に大きな松がある。
この松がある場所は、宗良親王、興良親王の御所の遺跡とされるため、「御所松」と呼ばれている。

御所松
御所松
力石
力石

2024/8/25踏査

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