概要
和田神社は明治十年、神倭磐余彦命を祭神として田尻浜河原に創建された。
しかし、鎮座地が海岸だったことから、嵐の際、社殿がたびたび損壊したため、
明治三十年に古宮八幡宮の境内であった現在地に遷座した。
境内に木瓜の大木があったため、木瓜(ぼけ)八幡宮とも呼ばれていたという。
現在地にかつて鎮座していた八幡宮は、大井川の氾濫被害を避けるため、慶長年間に字天神に遷座していた。
その跡地が古宮八幡宮と称して祀られていたものである。
こうした経緯から、当地は田尻地区発祥の地と考えられている。
なお、和田神社の遷座の際、八幡宮、古宮八幡宮を合祀している。
また、明治三十三年には、字上新並四百九番地にあった左口神社のほか、天白社、水神社、天神社を合祀している。
左口神社の創建年は不明だが、天明五年再建の棟札が残る。
祭神は猿田彦命とされる。
(焼津市立和田中学校社会科研究部編「和田浦-なしの里焼津和田-」、「焼津市誌」、「焼津市史 民俗編」、日本歴史地名大系「静岡県の地名」)
踏査結果・考察
現地を訪問すると、明治三十三年に合祀された左口神社、天白社、水神社、天神社(天満宮)は境内社殿に寄せられていた。
詳細不明の「四社神社」も寄せられている。
田尻の左口神社は駿河志料に「山護神」として記されているが、駿河記や駿河国新風土記には記録がない。
このような小祠であっても、焼津のシャグジは今も忘れ去られず、崇敬を保っている。
2023/1/15踏査
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