概要
用宗浅間神社は、今川から武田、徳川に至る戦国期の激戦地、持舟城の麓に鎮座する。
主な城主として挙げられる今川義元の有力家臣、関口親永は瀬名姫(築山殿)の父として知られる。
また、地名の「城山」も持舟城に由来する。
さて、用宗浅間神社は、現在は境内社となっている八幡神社と共に、古くから用宗の氏神であった。
創建年は不明だが、検地の記録から、両社とも江戸初期には鎮座していたと考えられている。
また、浅間神社、八幡神社に続き、今駒社(現熊野神社)も用宗の氏神となった。
なお、駿河記は「今駒」を「今熊野」の転訛としている。
八幡神社、熊野神社は、平成二十三年に両社とも浅間神社の境内に遷座した。
この遷座は用宗全体の祭事統一が契機となった。
それまで各神社で行われていた祭りが、浅間神社の境内社である津島神社の祇園祭に統一されたのである。
なお、両社のかつての社殿は、現在も元の鎮座地にそれぞれ残されている。
また、その他の境内社として、
津島神社
辨天社
水神社
左宮司社(静岡市神社名鑑では左口社) がある。
(静岡市神社名鑑、用宗町誌、戸塚翔「祇園祭から見る用宗の信仰」より)
踏査結果・考察
現地を訪問すると、比較的小規模な神社ではあるものの、
これまで用宗にあったすべての神社が集められ、賑やかな境内となっている。
左宮司社も祠に社名が明記され、両側には神社名鑑に記載のない城山観音と水天宮が祀られていた。
駿河記、駿河志料は用宗に社宮司社があるとしているが、社名のみの記載となっている。
また、用宗町誌も「小さな祠であったものとみられる」との言及にとどまり、遷座の経緯や御利益等は伝わっていない。
とはいえ、駿河湾に面した農漁村だった用宗における、「農」の側面を表すシャグジと言える。
2023/2/11踏査
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