概要
方ノ上八王子神社は旧益津郡方ノ上村の氏神である。
「方ノ上(かたのかみ)」は、伊勢神宮の荘園であった方上御厨の遺称地であり、十二ヶ村で構成されていたという御厨の中心地に比定される。
八王子神社は、江戸期の地誌には午頭天王社として記されている。
宝永年間に神官が神命を受け、八王子神社に変更したという。
なお、元の牛頭天王社(津島神社)は現在も境内社として祀られている。
また、江戸期の方ノ上には、八王子神社のほかに西宮社があり、朝比奈川沿いの田の中、字堀合に鎮座していた。
西宮社は元禄十二年(1699)に創立され、祭神は事代主神。
明治八年に村社に列せられたが、明治三十四年に八王子神社に合祀された。
「高草山麓のむかし話」によれば、明治二十七、八年頃の西宮社には七尺×八尺位の社殿があり、秋の収穫期には野扱の作業場になったという。
さらに、西宮明神は元来「おしゃもつあんの杜」であったとしている。
なお、八王子神社は、相殿として子安神社の祭神である木花開耶姫命を祀る。
その他の境内社に、金刀比羅神社、山神社がある。
(塩澤藤雄「高草山麓のむかし話」、「東益津村々誌」、「駿州益津郡方ノ上村史」、「焼津市史民俗編」、「焼津市史通史編」、「志太地区神社誌」)
踏査結果・考察
西宮社が八王子神社に合祀されたことは、大正二年編纂の「東益津村々誌」に記されている。
ところが、その後の「志太地区神社誌」や「焼津市史」などの資料には、この経緯が一切記載されていない。
そのためか、「高草山麓のむかし話」の著者である塩澤氏も、西宮社は単に「消えて行つてしまつた」と考えていたようだ。
実際、八王子神社を訪問してみても、西宮社の痕跡を見出すことはできなかった。
かつての村社にもかかわらず、この扱いには釈然としないが、何か事情があるのかもしれない。
さて、静岡県内においてシャグジから西宮社への遷移を把握できたのは、横田町西宮神社に続き県内二例目である。
ただし、「高草山麓のむかし話」には、元禄年間に創建された西宮社をシャグジ由来とした根拠は記されていない。
私見だが、その理由は、この社も村人たちから「おしゃもつあん」と呼ばれていたからではないだろうか。
これは、藤枝市本町の「左車神社」が「宗尊親王の乗輿の車輪」に由来する社名とされながら、
その本性はシャグジであり、地域では「おしゃもっさん」と呼ばれていることからの連想である。
2024/8/10踏査
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