概要
古庄のおしゃもじさんは、東豊田郷土誌に次のように記載されている。
「淡島さまの隣の畑に大正末期まで樹木が1本立っていた。ここを「おしゃもじさん」と呼んでいたが、どんな神さまか何のご利益があるか誰も知らない。他所から土を運んで現在の畑となった。」
その「淡島さま」と呼ばれる古庄淡島神社は、かつて淡島(粟島)明神社と称した。
現在は少彦名命を祭神としている。
また、境内社に金刀比羅神社と子之神社がある。
なお、かつて虚空蔵が神社境内にあったとされているが、現在は法泉寺境内に遷されている。
踏査結果・考察
時々通りかかっていた古庄淡島神社がシャグジ所縁と知り、改めて訪問した。
しかし、隣の畑は今はなく、「おしゃもじさん」の痕跡を見出すことはできなかった。
この「おしゃもじさん」は、駿河記、駿河国新風土記、駿河志料のいずれにも、社宮司祠、左口社と記載され、今井野菊氏も左宮司社(さぐつさん)と報告している。
特に、駿河志料では二ヶ所に社宮司祠があったとしており、「おしゃもじさん」がシャグジだったことは間違いないと思われる。
境内にはいくつかの小祠が置かれていた。
もしや、この中に「おしゃもじさん」がまぎれていないだろうか。
とはいえ、伝承では樹木があった場所自体がシャグジとされていた様子であり、祠はなかった可能性がある。
2022/7/23踏査
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