概要
承元寺八幡神社は、隣接する臨済宗妙心寺派の寺院、神護山承元寺の鎮守社である。
承元寺の寺号は鎌倉期の元号に由来し、室町期には駿河安国寺に選定され諸山に列したが、
永禄年間、武田氏の駿河侵攻によって焼失し、その後は著しく衰退した。
八幡神社の創建年代は不明だが、承元寺の前身に当たる天台寺院は弘仁六年(815)創建とされ、同時期に創建された可能性がある。
また、享保十六年(1731)再建の記録がある。
明治三十九年、村内にあった以下の六社を合祀した。
山神神社三社
第六天社
社口社
水神社
このうち社口社は、かつて承元寺字上ノ山十六番地に鎮座していた。
(境内由緒書、大正二年「興津町誌」、「興津三十年誌」、重松輝宗著「私の承元寺史」より)
踏査結果・考察
このシャグジは江戸期の地誌や今井野菊氏の踏査記録にも見当たらない、いわば隠れシャグジである。
偶々当社の扁額や由緒書の写真を見た際に「社口社」の文字を見つけた。
現地を訪問すると、合祀された六社のものと思われる古びた石祠が境内の隅に寄せられていた。
残念ながら、社口社の祠を特定することはできない。
帰途、県立図書館で再度調査し、大正二年「興津町誌」中に社口社に関する記載を見つけた。
元の鎮座地は「字上ノ山」とのことで、八幡神社の300m程北方の山麓付近だったようだ。
なお、「信徒三人」とあり、合祀は必然だったのだろう。
興津町誌には社口社に関し、「検地ノ節検竿ヲ納メ之ヲ祭ルモノナリト」との解説が付されていた。
これは典型的な駿河シャグジの特徴である一方、
興津川を挟んですぐ対岸にある小島地区には、諏訪信仰との関連がうかがえる「おしゃもじさん」もある。
二つのシャグジは近距離にあるが特徴が異なり、それぞれの信仰の成立過程や創建時期は異なるのではないかと考えている。
2023/5/22踏査
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