概要
増神明社は日本平南東麓に位置する増地区の氏神である。
創建時期は不明だが、江戸中期の寛政年間に修繕を行ったという伝承がある。
また、大正五年に合祀された佐栗神社は増の西組の産土神であった。
かつては左宮司社と称したが、明治元年に佐栗神社に改称した。
なお、大正二年の不二見村誌では祭神を猿田彦命とするが、明治十四年の駿河村誌では保食神としている。
創建は鎌倉期の元仁元年(1224年)とされる。
神明社については江戸期の地誌に記載があるが、シャグジの存在は記されていない。
このためか、今井野菊氏も踏査していないようだ。
踏査結果
増神明社は、国道150号から増の集落に入り、集落ほぼ中心の最奥まで進んだ山中に鎮座する。
昭和二十年に社殿が焼失したため、現在の社殿は駒越小学校にあった奉安殿を転用している。
拝殿前に、崩れてしまっているものの、神社の規模に比して非常に大きな灯籠があった。
偶々居合わせた氏子総代の方に話を聞くことができ、東照宮から譲り受けた灯籠だと教えていただいた。
佐栗神社についても、現在も西組の旧地に祠があると御教示いただいた。
駿河シャグジの例に漏れず、地元では稲荷に近い存在だったようだ。
このため、明治期の駿河村誌では祭神を保食神としていたのだろう。
氏子総代の方もシャグジについては承知されていなかった。
なお、長崎新田の佐口神社では同様の位置づけが固定化し、現在も保食命を祭神としている。
考察
さて、不二見村の隣村である三保村には佐久神社があるが、
こちらもかつて雙栗(サクリ)神社と称したことがあり、山城国久世郡鎮座の雙栗神社と同神としていた。
これらはシャグジの音韻からの転訛と思われ、京都の雙栗神社との関連は後付けと考えている。
当然かもしれないが、増神明社の氏子総代の方も、京都に雙栗神社があることは承知されていた。
奉安殿を社殿にしていることを含め、共通点が多い二社である。
佐栗神社の現在の祭神が猿田彦命であることも、三保佐久神社に合わせたのかもしれない。
さらに、佐栗神社の創建が鎌倉期とされていることは注目に値する。
三保佐久神社については創建年が明らかでないが、周辺に鎌倉期の史跡、伝承が多いことに通じる。
ほとんどのシャグジが創建年月不明とされる中、
駿河シャグジの起源を中世に求めることは今後の検討の出発点となる。
氏子総代の方には、拝殿前の石祠が三峯講の祠であることも教えていただいた。
現在も講は続いているそうだ。
文献調査では知り得ない情報を多く得ることができ、
フィールドワークにおける聞き取り調査の重要性を再認識した踏査だった。
2023/2/6踏査
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