高松神社(左口神社)

静岡市駿河区高松字神明原1571

拝殿内

概要

高松神社は素戔嗚尊を祭神とする。
江戸期の資料には高松で素戔嗚尊を祀っていたという記載は見当たらない。
しかし、当社は文化二年(1805年)に再建されたとのことであり、江戸期からの神社のようだ。

由緒書
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鳥居

左口神社については、
駿河國新風土記では、高松、敷地、宮竹を高松三ヶ村とし、各一所ずつ「左口社」があるとしている。
駿河志料では、敷地に「左宮司社」があるとするが、高松、宮竹には記載がない。
駿河記でも敷地にのみ「左宮司社」の記載がある。

また、大正二年の大里村誌に「左口社」について以下の記載がある。
「今杉山豊蔵氏北に其跡あり 
 新風土記に敷地にありと見えたるもの是なるべし
 駿河志料に-左宮司社小祠なり-と見えたるもの亦是なるべし
 里人云当地に田圃を開く頃用ひたる縄を埋めて祭れるなりと」
このように、敷地に左口社跡があったことを示唆している。

以上を整理すると、高松、敷地、宮竹にはそれぞれにシャグジがあった。
ただし、敷地にあったシャグジに関する記載が主体となっている。

境内

一方、現在各村の神社は
「高松神社」(高松)
「諏訪浅間神社」(敷地)
「宮竹神社」(宮竹)
の三社にまとめられている。

ところが静岡市神社名鑑では、高松神社の境内社に左口社が挙げられているのみである。
敷地と宮竹にあった左口社については記載がない。

拝殿

踏査結果・考察

神社名鑑によれば、高松神社の境内社には、左口神社のほか、「神明神社」があるとされている。
しかし、由緒書にはどちらも記載されていない。
現地を訪問すると、境内には大きめの社殿と小さな石祠の二つがあったが、社名や祭神名は記載されていなかった。
一般的には前者が神明神社で、小祠が左口神社ということになるだろうか。

神明神社か
神明神社か
左口神社か
左口神社か

消息不明の敷地・宮竹の左口社の行方については、引き続き資料の探索を続けたいと考えている。
その後、明治期に皇国地誌作成のために編纂された「駿河村誌」を確認したが、やはり敷地・宮竹の左口社については記載がなかった。

ところで、「敷地(シキチ)」地名は「シャグジ」と音韻が類似しており、関連を連想してしまう。
偶然の類似とは思うが、県内には他にも「敷地」地名に立地するシャグジがあるため、今後留意しておきたい。

なお、高松神社本社についてであるが、現在境内社となっている神明社は、江戸期から高松で祀られていたとされる。
当地の小字名が「神明原」であることから、高松神社は元は神明社だったのではという想像が浮かんだ。

2022/6/19踏査

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