概要
栄田神社は田尻北村の村社八幡宮を前身とする。
同八幡宮は元亀三年の戦火で社殿社記等を焼失したため、創建年は不明であるが、寛永二十年に再建されたと伝わる。
明治三十九年に下小田字宮脇の浅間神社と北新田字弥十河原の八幡宮を合祀し、栄田神社に改称した。
さらに、明治四十年には北新田字弥平西にあった左口神社を合祀している。
左口神社の由緒は審らかでないが、北新田が拓かれた時から祀られていたと伝わる。
なお、境内社に須賀神社、水神・稲荷神社、笠森神社、祖霊社がある。
(焼津市立和田中学校社会科研究部編「和田浦-なしの里焼津和田-」、「焼津市誌」、「焼津市史 民俗編」)
踏査結果・考察
栄田神社は品陀和気命を主祭神とするが、現地に由緒書等は見当たらなかった。
また、八幡宮由来であることを示す扁額等もなく、あくまで栄田神社として鎮座している。
左口神社も文字通り合祀されているため、境内にかつての社名を表すものはなかったが、
その祭神である猿田彦命は栄田神社でも祀られている。
左口神社のあった北新田は、田尻北村の孫左衛門により開発された「孫左衛門新田」を元禄年間以前に田尻北村から分村し、「北新田村」としたと伝わる。
初代孫左衛門は城東郡高橋村(菊川市小笠町)出身で、北新田等の荒地を開拓し、承応元年(1652)に死去したという。
こうした伝承から、北新田の左口神社は、江戸初期、慶長の大洪水後の開拓の際、創建されたのではないかと考える。
2023/1/15踏査
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