概要
宮本町神明神社は、かつて、現在東海道線、東海道新幹線が通る場所に立地していた。
昭和三十七年、東海道新幹線建設に伴い当地に遷座したとのことである。
なお、宮本町は昭和に入ってからの新しい町名で、当地は江戸期における川辺村の一部に当たる。
駿河國新風土記、駿河志料は、川辺(河辺)に駒形社、天王社、左口(司)社、伊勢宮があるとする。
このうち伊勢宮が当社を指す。
伊勢宮はかつて戦乱で荒廃し、一本の老樹があるのみとなっていたが、たびたびの霊異を村人が恐れ、再度社殿を建てたという。
駒形社を除き、川辺にあった天王社(津島神社)と左口社(猿田彦命)は明治四十年に当社に合祀されている。
また、大正十二年には白山神社も合祀されている。かつて川辺の周辺にあった白山町に鎮座していたもののようだ。
踏査結果・考察
川辺の大字には「神明前」があり、当社の旧地を指すと思われる。
宮本町の「宮」も当社にちなむ地名だろうか。
左口神社に関する伝承は特になく、駿府周辺の各村の多くで標準的に祀られていたシャグジの一つだったと思われる。
境内には由緒書以外にシャグジの存在を伝えるものは見当たらない。
訪問日が六月三十日で夏越の祓の真っ最中だったため、茅の輪が設けられ、境内は賑わっていた。
夕暮れどきの提灯の明りが幻想的で印象に残っている。
2022/6/30踏査
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