概要
蜂ヶ谷八幡宮は天暦元年(947)創建と伝わる古社である。
「八幡宮」であるが、祭神は大鷦鷯天皇とされる。
また、江戸期の地誌でも総じて「若宮」の扱いであり、実態は「若宮八幡宮」である。
なお、御神体として鉄弓を祀る。
当社には、永享十二年(1440)に領主の大宅由比清光が上葺した際の棟札をはじめ、
室町期以降の棟札が20枚ほど残っており、市の指定文化財となっている。
なお、境内社に浅間神社、山神社、天王神社、佐口(さくう)神社がある。
さて、「蜂ヶ谷」は全国的にも珍しい地名である。
民部省図帳に「蟻螻峡(ハチカイ)」とあるのが蜂ヶ谷とされる。
中世以降の表記は「蜂谷」と「鉢谷」が混在している。
地名の由来については、鉢のように山に囲まれた谷だったことから「鉢谷」となったという説や、
八幡宮のある谷、「八幡ヶ谷」の転訛という説がある。
(伏見洋次郎 著「飯田村の地名と歴史(清見潟第十九号)」、「江尻宿の變遷」)
踏査結果・考察
蜂ヶ谷八幡宮は蜂ヶ谷村の東の外れ、山原村との境界地点に鎮座する。
こちらも山原村の西の外れに鎮座する関田神社とは直線距離で100m程しか離れておらず、その近さに少々驚いた。
両社の前には古代東海道ともいわれる街道が通る。
それぞれの村の入り口に、境界守護として神社を創建したということなのかもしれない。
ただし、関田神社はかつて山の上に鎮座していたとも伝わる。
さて、境内社の佐口神社は、踏査を終えたはずの清水区内で新たに見つけたシャグジである。
このシャグジは、江戸期の地誌や現在の一般的な郷土資料に記載がなく、これまで気づくことができなかった。
見つけた経緯は、山原村の古跡について、清水区在住の有識者の方と有意義な意見交換をしていた際、
ふと隣の蜂ヶ谷八幡宮が気になり境内写真を確認したところ、由緒書に明記されていたという次第である。
その後様々な資料を確認したものの、佐口神社の由緒については未だまったく手がかりがない。
唐突に出現したシャグジという印象である。
現地には、長屋に寄せられているものの、「佐口神社」と明記された小祠が丁寧に祀られている。
しかし、それ以上の情報を得ることはできなかった。
いずれ、地元の方のお話を聞く機会が得られればと思う。
2023/9/10踏査
コメント