概要
五ケ堀之内三嶋神社は大山祇命を祭神とする五ケ堀之内の氏神である。
駿河国神明帳の益頭郡正五位下「三島第二御子天神」は当社とされる。
このため、創立時期は不詳だが、平安時代以前から鎮座していたものと考えられる。
なお、慶長九年(1604)再建とのことである。
伝承によれば、当地の創始は、加茂明神の神官が関東に下向する途上で当地に土着したことによる。
一族は加茂姓を名乗り、子孫は田中藩に仕えた。
その屋敷付近には神楽井、七十五膳の神饌所の跡とされる場所や、元宮などの地名が残っていたという。
また、「五ケ堀之内」の地名については、開拓当時、五軒の屋敷があったから、
あるいは、五つの堀があったから、という伝承がある。
なお、五ケ堀之内は小柳津御厨の一部だったと考えられており、伊勢神明宮も鎮座している。
(鎮座地は大正四年に五ケ堀之内に編入された旧柳新屋)
さて、江戸期の五ケ堀之内村には、三嶋神社のほか、若宮八幡宮(大鷦鷯命)、左口司大明神(猿田彦命)があった。
両社は明治三十三年に三嶋神社に合祀されている。
境内に津島神社があるほか、延宝二年(1674)の庚申塔が祀られている。
(金原寛 著「五ヶ堀之内ふるさとのあゆみ」、「焼津市史 民俗編」、「志太地区神社誌」)
踏査結果・考察
現在の社殿は平成十三年から十五年にかけて造営したもので、立派な造りであり、境内も清浄に保たれている。
しかし、シャグジについては由緒書以外にその存在を示すものは見当たらない。
「五ヶ堀之内ふるさとのあゆみ」に以下の記載がある。
「左口司大明神 オシャモっさんの呼名あり 昔は元の若八幡宮の北側の地にありしも 耕地整理により三島神社境内に遷さる」
なお、若宮八幡宮はかつて三嶋神社の500mほど南方に鎮座していた。その付近は今も若宮と呼ばれているそうだ。
2022/10/1踏査
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