概要
横田町西宮神社は、駿河國風土記に「左口神社 恵比須社」と記される。
また、同時期の駿河記では「左宮司社 社中 西宮社」とある。
さらに、数十年後にまとめられた駿河志料では「左口司社」とされている。
左口神鎮座の年は不詳である。
明治四十四年に末社の稲荷社と天神社を合祀。
昭和三年に左口神社から西宮神社に改称した。
祭神は事代主命(恵比須社)、猿田彦命(左口神社)のほか、合祀された保食神(稲荷社)、菅原道真公(天神社)である。
踏査結果・考察
横田町西宮神社は、シャグジ信仰としての左口(サグチ)神社から、西宮(サイグウ)、更に西宮(ニシノミヤ)神社へと転訛し、商業神である恵比須神(事代主命)を奉斎したと考えられる。
このようなシャグジ由来の西宮神社は他にも多くあると思われる。
しかし、県内では他に具体的な根拠を持つ事例を把握できていない。
なお、左口神社の祭神は、当初「左口神」を祀っていたが、時代が下って猿田彦にしたものと思われる。
さて、話は変わるが、袋井市岡崎の左口神社に関し、
院内(陰陽師)が信仰する妙見菩薩(北辰妙見)が「社古字(しゃこじ)尊天」と同一視されていた
という報告がある。(山本義孝著「民間陰陽師の村 笠原院内」)
そして、ここ横田町の西宮神社周辺は戦前まで院内町と呼ばれており、かつて駿府城築城時の地鎮などに携わった「院内」が、今川時代から居住していたとされる。
このため、当社も同様の経緯でシャグジを祀ったと思われるが、それを指摘した論は今のところ未見である。
静岡市内のシャグジは、農耕神としての性格を持つものが多い。
しかし、横田町西宮神社は、“院内起源”、“西宮神社への変化”という二つの特異性を有する。
TPOに応じて自在にその姿を変化させる、シャグジの多様性を示す一例である。
2022/11/10踏査
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