概要
三ケ名神明宮は旧志太郡三ケ名村の氏神である。
当地は伊勢神宮の小楊津御厨の一部だったと考えられており、
そのために神明宮が勧請されたともいわれる。
嘉永三年に倒れてしまったという御神木は、幹周10mを超える松の巨樹であり、樹齢千年以上の古木だったと伝わる。
このため、当社の創立も、小楊津御厨が成立したとされる永保元年(1081)以前に遡る可能性がある。
なお、地名の「三ケ名」は「さんがみょう」と読む。
「三つの名田」に由来するという説や、
天文五年(1536)の花倉の乱に関する今川義元の判物にある、
「小楊津真金名」の「真金名」を「さねがねみょう」と読み、
それが「さんがみょう」に転訛したという説がある。
明治三十三年、境内社の八王子神社に若宮八幡宮、飯綱神社、左口神社を合祀した。
さらに、昭和二十七年に明星宮を本社に合祀し、飛地境内社としている。
(「新編豊田村誌」、「焼津市史 民俗編」、「志太地区神社誌」)
踏査結果・考察
「三ケ名」を「さんがみょう」と読むとは、
ここにシャグジがなければ永遠に知る機会がなかったかもしれない。
地名自体はよく目にしていたが、「みかな」と読むのだろうと思っていた。
響きが耳に残る、遺風が伝わる地名であり、知る前とは印象が大きく変化した。
現地を訪問すると、左口神社が合祀されている八王子神社には、
天満宮、秋葉神社、津島神社、稲荷神社も合祀されていた。いずれも由緒は不明である。
さて、駿河志料によれば、左口神社は江戸期の時点で飯綱神社とともに若宮八幡宮の相殿になっていたようだ。
そのためか、左口神社固有の伝承は今のところ見つけられない。
神明宮の境内にシャグジはあまり似合わないような気もするが、
環境に適応し、静かにあり続けるのも現代のシャグジらしさかもしれない。
2022/10/1踏査
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