概要
下野浅間神社は元来十二天尊社と称した。
創建年は不明だが、明暦年間の頃、あまねく災いを取り除く十二の仏が祀られていたと伝わる。
安産婦人病の守護神として、多くの崇敬を集めた。
明治の神仏分離により、十二天尊は村役宅に預けられ、
新たに山原の関田神社から木花開姫命を勧請し、下野浅間神社に改称した。
ところが、その後多くの住民が災いを受けたことから、十二天尊の祟りであるとの声が上がった。
このため、浅間神社の境内に別棟を建立し、改めて十二天尊を奉祀している。
なお、別棟には水天宮、神明宮、そして三狐神が合わせて祀られている。(由緒書より)
下野村、山原村は、明治二十二年に周辺の他の村と合併し、庵原郡飯田村となった。
さらに、飯田村は昭和二十九年に清水市に編入されている。
踏査結果・考察
昭和初期に出版された「江尻宿之変遷」を眺めていた際、
庵原郡旧飯田村の地図中に「三狐神」という名の小字があることに気づいた。
シャグジ関連の小字地名は多いが、実際はシャグジが現存していないことが多い。
このため、あまり期待は抱かずに、字三狐神に隣接する字前田に鎮座する下野浅間神社について、一応調べてみた。
すると、意外にもすぐ、境内に三狐神が祀られていることが確認できた。
駿河志料、駿河記の下野の項に、それぞれ社宮司社、左宮司社があるとされていることから、
この三狐神はシャグジ由来と考えて問題ないように思う。
早速現地を訪問したところ、別棟の扁額に「三狐神」と明記されていることが確認できた。
さて、旧飯田村隣村の旧高部村に押切八幡神社があるが、
その相殿である左口神社も江戸期には三狐神と称していた。
静岡・清水地域で現存が確認できている「三狐神」表記のシャグジはこの二社のみであるが、
駿河シャグジの農耕神としての性格を端的に表す事例である。
2023/2/6踏査
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