概要
通称「関方の一本杉」
当地はかつて策牛、関方の入会山で、度々両村による山争いがあったという。
特に文化十四年(1817)の紛争は、大きな山論事件として古記録に残されている。
こうした山争いは、策牛、関方の所有する畑、山林が複雑に入り組み、境界線も曖昧だったことから生じた。
現在も両地区は入り組んでいる上に飛び地もあり、多くの地図で正確な区域が表現されていない。
一本杉付近は志太平野を一望できる展望地である。
ここにはかつて「おしゃもつあん」が祀られていたといい、一本杉は枝を切るだけでも祟りがあると伝わっている。
(塩澤藤雄「高草山麓のむかし話」)
踏査結果・考察
笛吹段公園から高草山の山頂方面へと進み、山頂直下の車道を西に進むルートで一本杉を目指した。
ハイキングコースマップに記載されており、現地にも標示板が設置されていたので場所はすぐわかった。
しかし、標示板の先の一本杉への道は、草が生い茂った状態となっている。
どうやらここを訪れる人はあまりいないようだ。
意を決して藪こぎしながら斜面を登ると、雨上がりの草露でぐっしょり濡れながらも、程なく一本杉に辿り着いた。
一本杉の根元も草に覆われ、よく観察できないが、「おしゃもつあん」が祀られていた痕跡は見当たらない。
この一本杉は山論があった場所にあることから、土地の境界を示すものと考えるのが自然だろう。
そこに祀られていたシャグジもまた、境界神の役割を担っていたのではないだろうか。
高草山麓のシャグジ
さて、「高草山麓のむかし話」によれば、現在「山の手地区」と総称されている、
策牛、関方、方ノ上の3区には、計15箇所もの「おしゃもつあん」があったとのことである。
また、「焼津市史 民俗編」によれば、このうち関方には「オシャモッツァン」と呼ばれる場所が田んぼなどに7箇所あったという。
こうしたシャグジの中には、山の手会館付近と思われる小字「左軍神」として、地名に痕跡が残るものもある。
また、方ノ上に明治期まであった西宮社も「おしゃもつあん」に由来するとされる。
高草山麓の東益津地区は、かつて伊勢神宮の荘園である方上御厨に属し、いずれの地区でも現在も山の神祭りが行われ、
焼津市唯一の天台宗寺院である法華寺があるなど、古くからの歴史を伝える地域である。
このような地域に多くのシャグジ伝承があることは、シャグジ信仰の古さを裏付けているように思う。
一方で、塩澤氏は当地に多くの小祠があった理由の一つに、村人が除地を得て年貢を免れる目的があったとしている。
江戸幕府の厳しい農民統制を出し抜く、当時の民衆のたくましさが愉快である。
2024/7/15踏査
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