概要
長崎新田佐口神社は保食命を祭神とする。
創建年月は不詳。
江戸期の地誌には、駿河記にのみ「左宮司社」として記載がある。
また、境内には十神神社、田毎社として猿田彦命を祀る祠が置かれている。
踏査結果・考察
明治以降も合祀されず、独立を保った数少ないシャグジである。
とはいえ、現地には社名を示す扁額もなく、静かに祀られている。
巴川の氾濫で幾度も流されたらしく、棟札等の資料は近年のものしか残されていない。
また、これといった伝承も伝わっていないようだ。
農業神で稲荷に祀られることもある保食命が祭神ということもあり、
本殿が朱塗りされているのだろう。
一方、明治十四年の駿河村誌には、「手置帆負命、彦狭知命を合祭」とある。
工匠の神ということだが、他のシャグジでは見たことのない祭神であり、経緯不明で違和感がある。
鎮座地が長崎“新田”であることから、江戸期に勧請されたシャグジと思われるが、
当地は鎌倉街道とされる北街道や、梶原景時・景季父子終焉の地とされる梶原山、彼らの墓所である梶原堂にも近い。
このため、創建は鎌倉時代に遡る可能性もあるのではないかと考えている。
また、近隣の大内に天白神社が鎮座していることも、中世の気配を色濃く感じさせる要因となっている。
境内社の十神神社、田毎社の正体も不明であり、謎多きシャグジである。
2020/12/27、2023/1/8踏査
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