概要
小川新町左口神社は「左口森のオシャモッツァン」と呼ばれる小社である。
左口森は田の中にある樹木鬱蒼とした森だったという。祭神は猿田彦命。
御神体は男根を模した石棒とされる。
男のシモの神、悪病除けの神などといわれる。
また、子宝の神ともいわれ、今でも子授け祈願に訪れる者がいるという。
なお、神社が西向きであるのも陰の神であるからとされる。
一方、御神体が当地の北西に当たる川根の家山から伝わったため、その方角に向けて祠をつくったという伝承もある。
この伝承は、当地から家山に茶揉みの手伝いに行っていた者が、
そこで知り合った諏訪出身の男から、男の住む村の辻々に祀られる道祖神の御分霊を譲り受け、
当地に持ち帰って祀ったというものである。
また、当地では、子どもの麻疹がアガって初めて風呂に入れる前に、
チョーズ神(便所神)さんの前でその子を箕に入れ、
カラスの左羽根で頭を撫でてからオシャモッツァンに参る風習があったという。
(「焼津市史 民俗編」、「広報やいづ続夜話37」、静岡県史民俗調査報告書「石津の民俗」、「小川村誌」)
踏査結果・考察
左口神社の社殿前には、模造の立派な御神体が立てられていた。
県内の他地域では、こうした金精神を思わせるシャグジをこれまでに見たことがない。
このように、御神体が明確に石棒とされていることや、
諏訪信仰由来と伝承されていることで「ミシャグジ」色が濃く、周辺の他のシャグジとは一線を画す。
むしろ突出しているとも言え、旧来の信仰に後年ミシャグジ要素が付加されたようにも見える。
さて、当社は「常に荒廃に属せし」とされながら、
焼津市内のシャグジとして唯一独立を保つことができた神社である。
除疫神の性格を有していたことが功を奏したのだろう。
地域に欠かせない社会的機能を担っていたために合祀を免れたと思われる。
現在は、左口森公園、左口公会堂とともに小社ながら地域の中心的存在となっている。
豊富な伝承とともに生き続ける、現役のシャグジである。
なお、概要に記したとおり、当社が西向きであることについては、
「陰の神であるから」、あるいは「家山の方角に向けたから」との伝承がある。
一方で、相良の飯津佐和乃神社に合祀された左宮司社や、袋井市の岡崎左口神社は方位神の性格を有し、「西方守護」を司っていたとされる。
こうした「西」という方位にまつわる共通性は、今後のシャグジ踏査でも留意していきたいと思う。
2022/1/30踏査
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