概要
郷島浅間神社は郷島の産土神である。
静岡市神社名鑑では以下の祭神が挙げられている。
木花咲夜毘賣命
誉田別命
豊受姫命
八衢比古命、八衢比賣命
明治三十一年に三島神社を、
明治四十二年には稲荷神社、津島神社を合祀し、
境内社には金山神社と天神社があるとしている。
一方、大正二年の賤機村誌では、
浅間神社の祭神を
木花咲夜毘賣命
品陀和気命
武内宿称命 としている。
合祀された稲荷神社と津島神社の祭神は、それぞれ保食命、須佐之男命である。
またその他に、郷島には八衢比古命、八衢比賣命、久那斗神を祭神とする「三五神社」があったとしている。
踏査結果
現地を訪問すると、楠の巨木が目に入る。
写真では二本の木のように見えるが、幹が二つに分かれた一本の樹木である。これほど巨大な楠は他にあまりないように思う。
樹齢も約千年とされ、当地が古くから信仰の場だったことを示している。
さて、郷島浅間神社の本殿脇に寄せられた境内社には、
天神社
稲荷神社
金山彦神社
竜爪山穂積神社 が祀られていた。
三島神社と津島神社の記載はなく、浅間神社本社に合祀されたものと思われる。
問題は、神社名鑑に記載がない三五神社である。
祭神が八衢比古命、八衢比賣命、久那斗神であり、元の鎮座地の地名が字「三五神原」であること。
また、駿河志料や駿河記に、郷島には左宮司社(左口司社)があると記載されていることから、
三五神社がシャグジ由来であることは間違いないと思われる。
三五神社は浅間神社に合祀されたという記録がないため、字三五神原と思しき郷島の西側周辺を探索してみた。
ところが農地があるばかりで、それらしき祠などは一向に見つからない。
安倍川の氾濫で流失したまま忘れられてしまったのかもしれない。
そのように考え、後ろ髪を引かれる思いで現地を後にした。
考察
三五神社が浅間神社に合祀されていない前提で現地調査していたが、
よく考えてみれば、三五神社の祭神である八衢比古命、八衢比賣命は浅間神社の祭神に含まれている。
他に八衢比古命と八衢比賣命を奉斎しそうな合祀社はなく、
祭神が鎮座する以上、三五神社は浅間神社に合祀されたと考えてよいだろう。
ところで、合祀社のうち「三島神社」は、神社名鑑に唐突に表れた神社名であり、江戸期や明治大正の地誌には記載がない。
「三島神社」は「三五神社」の誤記ではないだろうか。
様々に表記されるシャグジだが、「三五神」という表記は初見である。
表記に馴染みがないこともあり、三島神社と混同されたのではないか。そうであれば辻褄が合う。
なお、「三五神」は、「さごじ」等の呼び名に対し、天地を構成する「三光五行」から字を当てたのではないかと考える。
2023/2/4踏査
コメント