現存あるいは具体的な伝承が残る静岡県内のシャグジ(ミシャグジ)の一覧と、各シャグジの踏査記録を中心に紹介しています。
静岡のシャグジ踏査を始めた経緯
焼津花沢の里の「オシャモッツァン」
静岡のシャグジとの初めての接触は、焼津花沢の里入口にある「オシャモッツァン」でした。
観光で花沢の里を訪れていた際、偶々解説板を目にし、足が止まりました。
山肌を覆う落石防止フェンスに沿って設置された竹垣がそこだけ切り抜かれ、
「山肌の大きな岩はオシャモッツァンとよばれています。
歯痛や子どもの病気にご利益があるといわれ、花沢の人びとが信仰してきました。」
と書かれた解説版が取り付けられています。
しかし、覗きこんでも祠などはなく、岩といっても植生に覆われ、それほど特徴があるようにも見えない。
神か仏かもわからず、何より「オシャモッツァン」という響きとカタカナ表記。
「なにこれ?」と思いながらも、
当時は「民間信仰」という言葉さえあまり意識しておらず、
ましてや、ミシャグジ信仰にもまったく触れる機会がなかったので、
頭のどこかに引っかかりながらもそのまま年月が過ぎていきました。
天白磐座遺跡との出会い
このオシャモッツァンがシャグジであることに気づいたきっかけは、
引佐町井伊谷の渭伊神社境内にある「天白磐座遺跡」でした。
天白磐座遺跡を発見した考古学・歴史学者の辰巳和弘氏の著書
「聖なる水の祀りと古代王権 天白磐座遺跡」から存在を知り、現地を訪問しました。
この磐座は、古代祭祀の跡が手つかずで見つかっています。
発見過程もドラマチックで非常に惹きつけられました。
素晴らしい磐座を見て大変満足はしたのですが、
「なぜ遺跡名が“天白”なのか?」
という疑問が浮かびました。
改めて辰巳氏の著書を確認すると、考古学における遺跡命名の原則に従い、遺跡所在地の小字名から命名したとあります。
渭伊神社の参道には天白社が鎮座しており、小字名はこの天白社に由来すると考えられます。
天白社と磐座の関係は不明ながら、これまで身近に天白社がなかったからか、その表記と「てんぱく」という響きが印象に残り、私の関心は天白の正体に移っていきます。
そして、山田宗睦氏の著書「天白紀行(人間社文庫 日本の古層①)」で天白信仰を知り、近隣の天白社を探索するようになっていきました。
ミシャグジを知る
さらに、他の「日本の古層」シリーズも気になり、「日本原初考」3部作の
「古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」
「古諏訪の祭祀と氏族」
「諏訪信仰の発生と展開」(いずれも古部族研究会 編)
を読むことで、今度はミシャグジ信仰を知ることになりました。
「花沢のオシャモッツァン」との出会い後、ミシャグジ関連書籍を読んだことはあったものの、この時点までは、諏訪地域特有の信仰という認識にとどまっていました。
しかし、「古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究」に収録されていた、
今井野菊氏による「御社宮司の踏査集成」を読み、静岡県内にも多くのミシャグジがあることを把握しました。
そして、今井氏が踏査したミシャグジの中に「おしゃもっつぁん」を見つけます。
このようにして、「花沢のオシャモッツァン」がミシャグジの系譜に連なることを電撃的に認識したのです。
長年の疑問が解けてすっきりしました。
静岡のシャグジ踏査を開始
その後、今井氏の背中を追い、少しずつ、静岡県内のシャグジを訪問するようになりました。
県内の多くの先人が残した資料にも助けられ、静岡のシャグジの現状を徐々に把握していくうちに、
いくつか思うこと、気づくことがありました。
・ミシャグジ研究の金字塔である今井氏の踏査集成から、既に半世紀が経過している。
この間の社会情勢の変化は大きく、失われてしまったシャグジもあるのではないか。
・静岡県出身者による、今井氏に匹敵する規模の調査結果は見当たらないようだ。
・今井氏によれば、静岡県内のミシャグジは233社だという。
少ない数ではないが、地道に努力すれば、いつかはすべて踏査できるのではないか。
さらに、この頃私はゼルダの伝説BotWに夢中になっていました。
特に、一通りのイベントをこなした後、いわゆる「ほこらチャレンジ」にハマっておりました。
ハイラル全土の「試練の祠」を攻略した時、達成感と喪失感の中、
ふと、静岡のシャグジが頭に浮かびました。
「シャグジで“リアルほこらチャレンジ”に取り組めば、これからも楽しめるのではないか。」
このようにして、シャグジチャレンジ改め「静岡のシャグジ踏査集成」を開始するに至りました。
当ブログで「シャグジ」とする理由
私が多くの場合において「ミシャグジ」を「シャグジ」と記す理由は、
静岡県内に
・神社名の語頭に「御」が付くシャグジがない
・俗称に関しては、オシャモッツァン、お杓子さんなど、
全般的に接頭辞「お」が付くものの、
少なくとも語頭が「ミ」のシャグジは見当たらない
これらにより、「ミシャグジ」と呼ぶことに違和感を抱いたためです。
とはいえ、やはり諏訪由来の「ミシャグジ」の方が一般的であり、紹介もしやすいので、
御都合主義的に併用させてもらっています。