概要
落合左口神社・白髭神社は、静岡市神社名鑑や「清らなる山河 新玉川村誌」に左口神社として記載されている。
祭神は猿田比古命である。
相殿に八幡大神宮があり、祭神は誉田別命とされる。
ところが、現行の一般地図には、なぜか白髭神社と記載されている。
駿河志料の落合の項には左口司社、白髭社双方の記載があった。
ただし、落合には現在も上平瀬に白髭神社がある。
このため、駿河志料がどちらの白髭神社を記したのか特定できない。
また、左口神社の創建年は、神社名鑑では不詳、宝永八年(1711年)二月再建とある。
しかし、新玉川村誌では寛永八年(1631年)創建としている。
踏査結果・考察
神社名鑑や新玉川村誌で左口神社としているのだから、地図上の白髭神社の表記は誤りではないだろうか。
そのような予想を立てて現地を訪問したが、
実際は、賽銭箱に左口大明神、白髭大明神と併記されていた。
結局は左口神社と白髭神社の相殿ということのようだ。
一方、新玉川村誌で相殿とされている八幡大神宮の名は見当たらなかった。
その後、大正二年の玉川村誌を確認したところ、
川島には宝永八年創建の白髭神社があるとされていた。
相殿は新玉川村誌と同様に八幡大神宮とされていたが、左口神社については記載がない。
当社が地図上で白髭神社とされていることは、この玉川村誌の記載が一因なのかもしれない。
玉川村誌が白髭神社の創建年とする宝永八年は、神社名鑑では左口神社の再建年とされている。
また、新玉川村誌は左口神社の創建年を寛永八年としているが、おそらく宝永八年再建の誤りだろう。
これは「宝」の旧字体である「寳」を「寛」と誤読したものと思われる。
整理すると、左口神社、白髭神社ともに創建年不詳、宝永八年再建ということになる。
なお、玉川地区の神社の主流は、安倍川流域の水神であり、秦氏の入植との関連が指摘される白髭神社である。
こうした中、落合左口神社は、合祀等を含め玉川地区唯一の現存するシャグジだと思われる。
2021/7/25踏査
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